昨年から、鹿児島生協組合の「戦跡学習グループ」に誘われ、月一回定例会に参加しています。
メンバーは、3名。今年後は、垂水の戦跡を訪ね、来年度、戦跡案内冊子を作る予定です。
毎月一回の定例会での進捗なので、ゆっくりじっくり学習とフィールドワークを行っています。
講師は、瀬角龍平さん(大隅・垂水史談会の会長)です。
7月は、垂水市図書館で、座学を行いました。瀬角さんからプロジェクターに映し出された戦跡や史跡ついて説明を受けました。

9月29日(火)は、フィールドワークでした。
鹿児島市鴨池フェリーで、垂水市へ向かい、瀬角さんの案内で、戦争遺跡場所を訪れ、説明を受けました。
ブログで使用させていただく地図や説明文については、左記の資料を参考にさせて頂いております。(ネットから検索できます。)
垂水の戦争遺跡のある場所

今回は、私たちは、以下を巡りました。
③第六垂水丸遭難者慰霊の碑
②海潟造船所跡
③浜平特殊地下壕=現在立ち入り禁止となり、車中より場所確認のみ。
④旧垂水海軍航空界蓮遺跡群の一部=海中遺跡である魚雷航跡監視台跡
※牛根麓埋没鳥居(稲荷大明神)
第六垂水丸遭難者慰霊の碑
垂水史談会と垂水市は、第六垂水丸が遭難した2月16日に毎年「第六垂水丸遭難事故を語り継ぐ」という催しをされています。このブログでも紹介しておりますので、ご覧ください。
2025年4月20日「第六垂水丸遭難事故を語り継ぐ」資料展・講演会開催来場者アンケート結果報告と「講演会前半部分」
「第六垂水丸遭難事故」の記憶とともに人生を語り継ぐ②
「第六垂水丸遭難事故」 ~忘れられない記憶~





港から第六垂水丸乗船場まであった桟橋の痕跡 港から200メートル程あったのでは?
道路中央にあるセメントが桟橋の痕跡。
当時、リヤカーが一台通れるほどの横幅だったとのこと。
海潟造船所跡



昭和18年当時、流れていた川の水路を変更してまで造船所は建設された。当時流れていた川の様子がわかる水路壁跡。それらの作業は、多くの朝鮮の方々によって行われたそうです。
右記の資料も参照してください。「戦時中、海潟に造船所がありました。」


浜平特殊地下壕
浜平特殊地下壕については危険個所ということで、外壁工事中でした。地下壕に入れる穴があった入口付近には、草木が生い茂り、ほとんどその様子も分からない状態で、車窓から見るにとどまりました。
私は、幸いに2023年11月に地下壕に入らせてもらえる機会があり、その時の様子を2024年7月14日のブログに投稿しています。「垂水市・浜平旧海軍地下壕」九州最大規模の特殊地下壕
詳細については、以下ブログが詳しく書いてありましたので、参照ください。
浜平地下壕とは?九州最大級1.75kmの旧海軍魚雷整備地下壕を解説
魚雷航跡監視台場跡
まず、魚雷航跡監視台(魚雷航跡監視台)とは、
魚雷の発射訓練や性能試験を行う際、海面を走行する魚雷が残る泡の跡(航跡)を目視や望遠鏡で観測・記録するために設置した監視用の建造物であり、
訓練・試験の評価:訓練用の魚雷(爆薬の代わりに頭部に記録装置などを乗せたもの)を航空機や艦艇、発射場から発射し、真っ通りに直進しているか、速度や航続距離に問題がないか高所から監視・測定するもの。
垂水には、その建造物の遺跡が水中に残っており、今回は濡れても良い恰好で、海に入り、その遺構を確認しました、が、写真を撮るのを忘れていました。
大潮の時に再訪する計画なので、その時にはしっかり写真を撮ってきます。
牛根麓 稲荷神社埋没鳥居
戦跡とは関係がありませんが、今回案内していただきました。
大正3年(1914)の桜島大爆発の降灰で埋没したとのことでした。


感想 山下春美
座学で学習した後に、現場に行き、説明を受けながら当時の様子に思いを巡らすことは、とても意義深いことだと感じました。
そして、瀬角さんがそこで暮らしていた方々から聞いた話も加えて、説明してくださったことは戦時中の人々がどのように暮らしていたかを知る事にもなり、とても学びの多いフィールドワークでした。
そして、垂水フェリーに乗る前に、木場醤油さんで買って食べた、醤油ソフトクリームがとても美味しくて、忘れられないとこです。垂水に行く楽しみのひとつになりました。


コメント