2026年の夏が終わります。
夏は、やはり戦争によって亡くなられた方々を思わずにはおれない季節だと感じます。
今年は、縁あって8月15日に知覧で話をさせていただく機会を頂きました。
講演用の原稿を作成する際に、日頃考えていることを言語化する作業をしたのですが、困難を要しました。講演会直前まできちんとした原稿は仕上がらず、訳の分からないことを話をしてしまい、後悔しています。
タイトルは、「平和への願いと無意識の戦争加担」
原稿を再度練り直し、もう一度自分が考えていることを話したいと思っています。
さて、今日はいくつか自分が気になる言葉を集めてみました。
「戦争と仏教ー戦争は戦争の顔をしてこないー」
これは、真宗大谷派解放運動推進本部・本部長であった山内小夜子さんが講演された講題で、著書もあります。山内小夜子さん講演録
ミヒャエル・エンデ(「モモ」「はてしない物語」著者)
対話録『ものがたりの余白 エンデが最後に話したこと』
『戦争が始まる時、それは一夜にして起きることではないということ。そうではなく、慣れてしまうのです。ひとはとんでもないような状況になれてしまう。
ゆっくり慣れると、人はなんだって我慢できる。それが奇妙なことなんですね。今日、告げられて、明日は要求されるのであれば、みんなイライラするけれども、一年、二年とかけておこなわれれば、人は慣れてしまう。そういうものだと思います。
終戦も突然、頭上から降りかかってきたわけではありません。ゆっくりとやってきた。だんだん混乱がはげしくあんり、だんだんとことが昨日しなくなり、鉄道の運行がなくなり、郵便物が届かなくなり、などなど。そして、徐々に気づくようになる。------』
9月12日(土)おとなの教養講座2026 シンポジウム
「侍従長が見た昭和天皇と戦争-百武三郎日記を読み解く-」
基調講演者 加藤陽子さんの著書の言葉
「それでも日本人は、『戦争』を選んだ」

梅原いずみ・書評家
「おむこさんは殺人鬼」南日本新聞8月29日付 書評より

(中略)
相いれない他者と、仲良しである必要はない。属性や立場によって、考え方や見える世界が異なるのは当然である。ただ、どんな相手であっても、その命や尊厳が踏みにじられた時には手を差し伸べる。自らの誤りに気づいた時には、変わろうとする。それだけで、世界は今より良くなるはずだ。本書はその可能性は示している。
所感
「戦争は知らない間に始まっていた」という言葉を、戦争を体験した人からしばしば聞きます。
決して、知らない間に始まってはいないはず・・・・。
徐々に始まってくるので、それに慣らされてくるのか、それともとんでもない鈍感か?
せめて、同じセリフは、言いたくない、と思う夏

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