「Life in a jar」(ビンの中の命)

2026年

 第2次世界大戦中、ドイツで2000人以上のユダヤ人児童を逃がした、という女性、「イレーナ・センドラー」という方について、「戦争を語り継ぐ集い」に参加くださる瀬下三留さんより紹介がありました。
 戦争を戦争を止められない現実の中で、戦争の被害に遭う人々を助ける、という行為をされる方がいた、ということは、自分を含めた人間への絶望感に希望を与えてくれる事実でもあります。
イレーナ・センドラー Wikipedia

「Life in a jar」(ビンの中の命)  瀬下 三留

第二次世界大戦中、ユダヤ人を保護して命を救った有名人は、命のビザの杉原千畝、シンドラーのリストのオスカーシンドラー等だろう。

今回は2000人のユダヤ人の子どもたちを救ったイレーナ・センドラーを知っていただきたい。

今ほど人権や差別について意識の高くない1939年、ドイツはポーランドに侵攻しユダヤ人を殲滅するためにゲットーに閉じ込めた。
イレーナは福祉局に勤務していた立場を利用し、ゲットーに入り込み親たちに子どもを手放して安全な場所に移すように提案した。
そうする事で、「少なくとも子どもたちに生きるチャンスがある」と親たちに伝えた。

イレーナの「子どもたちに生きるチャンス」を与える方法は、子どもに偽名の新しい名前をつけ、偽造身分証明書を渡し、その後非ユダヤ人の孤児院や個人宅に預けるという方法だった。
脱出させる方法は、子どもをスーツケースや手押し車に入れたり、スカートの中に隠したり、救急車、工具箱、トランク、下水道等を利用して連れ出していた。

偽名の子どもたちの本名はリストを作成し、ビンの中に隠しリンゴの木の下に埋めた。

1943年イレーナはナチスに逮捕されて激しい拷問を受けたが、子どもたちの情報は守り抜いた。
さらに死刑宣告を受けたが、「ユダヤ人救済委員会」がドイツ兵にワイロを渡すことで解放される事が出来た。
しかし彼女は腕や脚を折られ意識のないまま森の中に放置されるという”解放”だったのだ。

戦争が終わり、目的である子どもたちと両親を再会させる為に、”ビン”を掘り起こし彼らの家族を見つけ始めるのだが、それは困難を有する事だった。
ほとんどの親は、トレブリンカ強制収容所で亡くなっていたのだった。
イレーナはその後50年間匿名で暮らしていた。

イレーナに助けられた2000人の子どもたちは自分たちの事を「センドラーの子ども」と呼んでいた。
彼女は生涯最後のインタビューで「”英雄”と呼ばれる事に大きな抵抗を感じます。
私はその反対なのですから。
私はほんの少しの子どもたちしか助ける事が出来なかった事で良心の呵責に苛まれ続けているのです」と語っている。

2007年ノーベル平和賞にノミネートされたが受賞はならなかった。
その翌年98歳でこの世を去りました。

このようなイレーナ・センドラーの生き様を知ると、まだまだ世界中にジェノサイドや人権蹂躙が行われている国家が存在している中、一人で立ち向かう勇気と行動力を持ち続ける事は至難の業であるが、差別や偏見にどう向き合うか、命を守るために何が出来るか等、目を背けてはいけない現実がそこにあるという事を忘れないで欲しい。

参考文献
「イレーナ・センドラーホロコーストの子ども達の母」
平井美帆著

note
追悼の日々、イレーナ・センドラーの物語
江島達也

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