81年前の今日、9時50分、垂水港を出港した定期旅客船「第6垂水丸」は、港の約200m沖の桟橋付近で方向転換をする際にバランスを崩して、転覆、沈没した日であります。(ウィキペディア)
この日の第6垂水丸には、定員を超えた約700人が乗船していたと言われていますが、主によく言われている理由は、
- 当時、民間船の多くが軍に徴用され、垂水と鹿児島を往復する船便が12往復から4往復に減らされていたこと。
- 当日は、日曜日で遊びや用事で鹿児島へ出かける人が多かったこと、また鹿児島市から戦地へ向けて兵隊さんが出発するとの情報があり、家族の最後の面会日であったことなど、です。
垂水市教育委員会と垂水市史談会は、毎年2月中、垂水市立図書館で、当時の状況を知る資料や関係者の談話、体験記を展示する企画をしておられます。
昭和19年第六垂水丸遭難事故と満州の切手(令和6年資料展の様子)
なぜ、第6垂水丸の遭難が起こったのか?その悲劇に思いを寄せるとともに、その事故を起こさないために、当時、どうすればよかったのか。戦時下において、為政者から統制されていく一般国民、一人一人の意識の深層にも思いを辿っていきたいです。

『第6垂水丸遭難事故を語り継ぐ』
垂水市立図書館にて2月1日から同28日まで。月曜日休館」
2月22日(土)10時~11時半
「第6垂水丸事故とその時代」について
お話会があります。
コメント
この船の沈没原因は、てっきり対馬丸ど同様爆撃による沈没事故かと思っていました。そうではなかったのですね。
ただ戦争が遠因になってる事は否めないですね。
コメント、ありがとうございます。この事件の背景は、この時代社会に強いられている国民生活に戦時下の影響をとても表しているものと受け止められます。