第2回目の「近現代史学習会」を開催しました。
講師:瀬角 龍平さん (垂水・大隅史談会 会長) 参加者25名。
今回のテーマは、「西南戦争・日清戦争・日露戦争」 でした。
最初に20代、参加者の感想をお読みください。
感想
歴史の授業や市内に点在する歴史についての説明文では、戦争と引き換えに得た功績を前面に出している印象があるため、今回様々な遺跡、碑、書物などの紹介を通し、あらゆる角度から多面的に西南戦争、日清戦争、日露戦争について学ぶことができ、実りある時間となりました。
参加者の方が述べられていた、国内での戦争(革命)と海外との戦争(侵略)の違いについては納得できました。しかし、どちらの戦争であっても命を落とし犠牲になった人、親族などを失った人などたくさんの悲しみもあったという事実が胸にのしかかります。
多数派の意見に流されることなく、自分の意見を持ち、話し合う機会を設けられるような環境であればこのような悲しみは生まれなかったのか、今も世界情勢は不安定だが、人類が平和的解決を選択できる日が来るのか、と考えました。
最後の意見交換や質問の時間を通し、講義の核となっていた部分が少しずつ見えてきたような気がして、他の参加者の皆様に感謝の気持ちでいっぱいでした。
西郷隆盛という人物をとっても、耳ざわりのいいような言葉だけが前面に押し出されている気がします。
今回のテーマだけでなく、日常生活を送る上で浮上するあらゆることを、色々な面からじっくりと捉えられる自分でありたいと改めて考えたひとときになりました。
時事問題にヒヤヒヤする日々ですが、胸の痛むニュースをみるたびに、この活動に参加する意義を感じられている気がします。
【学習会の概要】
· 前回までの流れ:薩英戦争〜戊辰戦争〜佐賀の乱
・今回も身近な史料を手掛かりに「西南戦争→日清戦争→日露戦争」に至る地域(主に大隅半島)と人々の動きを石碑に書かれた文字や私記などの記録文書から読み解き、解説。
・政治史の出来事そのものではなく、歴史の中で「人々がどう生き、どう翻弄されたか」に主眼を置いて説明。
西南戦争(1877年)
· 大隅半島での戦闘展開
· 官軍は鹿児島市内を制圧後、錦江湾を渡り高須に上陸。志布志湾からも上陸し挟撃を図る。
· 大崎・茂木・高熊などで市街戦・白兵戦。菱田川を挟んで攻防を繰り返すなど激戦。
· 茂木の戦いでは西郷軍が大勝した稀有な事例(日付と合致する官軍墓地の戦没記録が集中)。
参加主体と市民意識
· 当時の戦争は「士族のもの」という意識が強く、農民は戦闘に不関与との認識が一般的。
· 各郷からの呼応出陣は熱狂的で、根占では16名戦死など郷土史に記録。
史料と個別エピソード
· 大崎「はぜやまよしとよ」の墓碑銘:病床の士族(吉豊)と出征弟(美一)のやり取り、郷内が戦場化し家屋が兵火で焼失する実情、激戦の砲声と従軍不能の無念など、地域に刻まれた戦場体験を具体的に伝える。
· 垂水の和田修鳳(洋画家・和田英作の父)の自叙伝:西郷軍出陣要請を受けるも、宣教師ウィリアムスの戒めや「王命を奉ぜずして兵を動かすは賊」との信念から不参加を貫徹。家族避難や周囲からの白眼視など、非同調の困難も記録。
· 各地の慰霊・忠魂碑:終戦後(明治12〜14年頃)に各郷で建立。宝辺の碑文では「理(道理)と勢(勢い)」の相剋により賊軍に与した行為を苦渋をもって整理する思想的格闘が示される。
文化的記憶と後年の表象
· 抜刀隊(警視庁精鋭)の編成と行進曲(「我は官軍」)。自衛隊行進曲として「分列行進曲」について、継承も話題に。
· 石碑の後年刻字(例:昭和24年の中学生送別会の彫り込み)など、史跡保存の課題(風化・欠損・後年加筆)にも言及。
日清戦争(1894-95年)
戦況と損耗
· 近代国家として初の対外戦。戦死のみならず戦病死が多発(準備・衛生面の課題)。例:内倉直吉は熊本野戦病院で病没。
記憶の枠組みの転換
· 垂水の忠魂碑裏文:戦没者顕彰に際し「今上天皇の威光」を前面化。西南戦争期の郷土中心から天皇中心の国体的語りへシフト。
· 文言起草者は県教育関係者で、小学校長兼任など公教育との接合が示唆(国・県の意向関与の可能性も示されたが詳細未検証)。
· 凱旋祝宴・祝詞(大根占)
· 有川熊太郎祝詞:天皇の「げきりん」を契機に陸海軍が進撃、諸所で勝利を重ねた高揚を言祝ぐ。清の「眠れる獅子」観を覆し、国民意識の昂揚に寄与。
· 戯画・祝賀資料(「マルマン」)
· 日清後の対中進出ブームの中、中国支店開設の祝旗文(駄洒落を交えた勝利礼賛・商機拡大の気分)。欧州経由で伝来した逸品として紹介。
日露戦争(1904-05年)
· 規模と記念
· 大型化する忠魂碑・慰霊碑、戦死者数の桁違いの増加(日清→日露で兵器・戦略が高度化)。
· ロシア側の内憂(革命等)も背景に、日本側勝利として記憶される。
· 戦利品の整理・配布
· 陸軍戦利品整理委員会(1895/8/10規定):帝室納入・陳列・神社仏閣への分与で恒久保存。
· 1895/11改定で学校も配布対象に追加。国原小学校の砲弾はこの枠組みによる分与と推定。
· 国民新聞の論調:小学校等への分与により「未来の国民」形成(富国強兵)に資するとの世論も合流。教育と記念物の接合を通じたナショナル・アイデンティティ醸成が進行。
兵制と社会の変容
· 明治6年徴兵令以降、四民平等の下で平民も戦争へ動員。のちの総動員体制や女性の軍需参画へと連なる社会の流動化(参加者所感)。
· 戸主回避の慣行(徴兵免除狙いで親族を戸主に入れる等)の実態。
· 倫理と多面的視座
· 内戦(戊辰・西南)と対外戦(清・露)の質的差異(内政解決 vs 他国への軍事介入)とその教訓。
· 夏目漱石の個人主義に触れつつ、国家的高揚と個人の良心のせめぎ合いを学ぶ意義。
· 西郷像の神格化を避け、複眼的に評価する必要(今後の関連イベント方針と連動)。
質疑応答
· 「分列行進曲」の「分列」表記の妥当性について質問。一般的な「分裂」との混同が変換で起きやすいが、軍隊の行進用語としては「分列」が適切との参加者指摘。
※瀬角さんから回答
分列行進
「分裂」ではない。「分列」はいくつかの列に分かれて並ぶこと。「分列行進」は「分列式行進」の略称。分列式行進とは、各隊が(一斉には行進できないので)行進隊列を取り、順に行進する事で、来賓 受礼者の前を通過する時に敬礼(顔を向け)する事を指します。
なお、「陸上」自衛隊ではそれなりの「閲兵式」を行うときは「分列行進曲」を演奏し行進を行いますが、現在その様子はネットで色々な催しを見ることができます。
さらに、演奏する人たちはそれなりの音楽大学卒業者で、全国の音楽会、音楽ホールなどに出かけて自衛隊の広報活動として演奏しています。
参加者からの意見・感想
· 川路大吉にまつわる地元の悲劇:警視庁巡査となった村人の親族が殺軍に見せしめ処刑、親戚が家族を守るため殺軍に参加し負傷、のちに川路家を継ぐなど複雑な人間模様。
· 志布志での捕縛・自白を巡る報復としての斬首伝承など、各地に生々しい口承が残存。
· 重富郷での「西郷軍動員拒否者の同郷人による斬殺」共同墓の存在が街歩きで確認され、末端における同調圧力と暴力の衝撃が共有。
· 大隅半島での主戦期は官軍上陸が始まる6〜7月頃(鹿児島側手薄化に乗じた物量戦)との説明。
· 「マルマン」は中国進出を図る店舗(企業)名と推定。詳細は未詳。
· 石牟礼道子『西南役伝説』等、被害の記憶や聞き書きの有用性が指摘。150年を目前に口承の風化が進むため記録化の急務。
· 旧山崎村(現・薩摩町)碑文(明治41年):西南の乱の「基(もとづく)ところ」への疑義など、批判的視座を示す例も紹介。
· 日清勝利後の賠償金・軍拡、日比谷焼打ち、満蒙権益と米国の関与などの大局的議論が参加者から提示。
· 学びの目的は「戦争しないための知」。勢いに流されず、状況を客観視し自分に問い続ける態度が重要との合意形成。
· 歴史は神話化せず、多面的・地域史料に基づき検証を続けることが大事。
· 内戦と対外戦の本質差を踏まえ、現代の戦争・暴力に対する思考力を養う学習。
· 記念物・戦利品の教育的配置がナショナル・アイデンティティ形成に果たした役割を今後も掘り下げる。
· 西郷隆盛関連行事は神格化に流されない複眼的解釈を知ることも重要。
今後の課題
· 史跡の風化・欠損・後年刻字の混入により碑文判読が困難。
· 口承の担い手が減少し、未記録の証言が失われつつある。
· 地元史と全国史のバイアス(新聞・行政文書・教育文書の意図)が混在し、解釈の恣意化リスク。
· 近代以降の「天皇中心」言説の浸透により、地域独自の記憶が埋没する懸念。
· 資料不足(特に日露戦争の地元実物史料の偏在)
パワーポイントでの説明資料
· 大崎「はぜやまよしとよ」の墓碑(多聞院跡):戦況・家屋焼失・病没の詳細刻文。
· 垂水:和田修鳳の自叙伝(和田英作の父、信念に基づく不参加)。
· 宝辺の慰霊碑:理と勢いの対置による西南役の思想的整理。
· 垂水の忠魂碑(日清):天皇中心の顕彰文。
· 大根占の祝詞(有川熊太郎):凱旋兵の顕彰と言祝ぎ。
· 戯画・祝旗文(「マルマン」):対中商機の祝賀資料。
· 国原小学校の砲弾:戦利品配布政策の教育現場への実装例。
· 岩川官軍墓地:茂木の戦い日付と一致する戦没者記録。
時間の学習会予定表 6月18日(土)午前10時~正午 「鹿児島の殖産産業等について」

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