途切れた記憶を呼び戻す・・・「第六垂水丸遭難」を語り継ぐパネル展を終えて(アンケート結果)

2024年

 2024年2月1日~29日まで(垂水会場は25日まで)、大隅半島の4会場で「途切れた記憶を呼び戻す・・・「第六垂水丸遭難」を語り継ぐパネル展が開催されました。
昭和19年2月6日に第六垂水丸が遭難してから80年目。今年も大隅史談会の皆様が尽力され、後世にその出来事を伝え続けてくださいました。

 各会場でアンケートに書かれた来場者の感想などを読んでみますと、

「叔母(叔父)が乗船していた亡くなった・・・」
「友達の○○君が亡くなり、悲しんだことを思い出します。」
「こんな悲惨が出来事があったなんて知らなかった。」
「展示を見ていて、涙があふれてきました。」   
など、その出来事に関わる人々の歴史やパネル展を見て感じた感情が喚起させられています。

 鹿屋会場、南大隅会場では、10代の方々も来場してくださったようで、今回の展示から多くの過去の事実を知り、感じたことがあったのではないかと思います。
 また、この展示会を続けていって欲しい、という願いの声も寄せられていました。
今回のパネル展を主催されました大隅史談会他活動などのHPを載せておきます。
 「ぐるっとおおすみ・大隅史談会」

以下、感想をまとめてあります。(21~50、という数字は、年代別来場者アンケート結果です。)

「肝付町文化センター」肝付町 

良かった/11名 アンケート記入者数/8名 21~50・1名、51~80・6名、81~・1名

・昭和19年2月6日より、66年後に助けられた赤ちゃん。助けてくれた人との生存中での二人の再会には感動しました。田中美代子さん、木佐貫正春さんの再会は夢の中の出来事としか思えませんでした。(81~)

・80年前の悲劇を今に伝える貴重な証言の数々を知り、地域の歴史を新たに発見することが出来ました。(21~50)

・父が弟に送ったハガキが昨年見つかり、その中に書かれていて知った。今後は他の展示も見るつもりです。(51~80)

・語り継ぐ会を大事に続けてほしい。(51~80)

・私が生まれた年で、父が船に乗る予定でしたが、乗り遅れて助かったと話していました。(51~80)

・竹之井さんが亡くなられた時にこの展示をしているって、何か色々感慨深いです。図書室で竹之井さんの本を読んで知りました。涙が出ます。(51~80)

「南大隅町根占図書館」南大隅町

良かった/20名 アンケート記入/7名    11~20・3名 21~50・2名、51~80・1名、81~1名

・第六垂水丸遭難について知らなかったので、知ることが出来て良かったです。(21~50)

・以前、SNSの投稿にてこの事故のことを知っていたものの、このような形式の展示を拝見するのは初めてでしたので、拝見することが出来て、とても有難く思っております。(21~50)

・とても感動した。(11~20)

・私は記憶ないのですが、姉達の話を聞き、どんな事故だったのか、写真があったらなぁと思っておりました。本日は、こんな事故が二度と起こらないために見学でき、ありがとうございました。(81~)

・川元ヨシさんのお墓の写真法事、初めて見ました。(51~80)

・良かった。(11~20)

・感動した。(11~20)

「鹿屋市役所」鹿屋会場

良かった/27名 アンケート記入者/19名     11~20・3名 21~50・4名、51~80・9名、81~3名

・母の姉が乗船しており、亡くなったと常に聞いております。(51~80)

・もっとこの様な事があったという事を多くの市民の方々が知っておく必要がある。人災→悲惨(51~80)

・私のおばもこの船に乗船予定でしたが、予定が狂い乗らずに済んだという事を聞いた事がありました。そこから私もこの件について知りたいと思い、色々な調べもしたことがあります。これからも、語り継がなければいけないと思います。(51~80)

・私のおばが垂水丸に乗り、亡くなりました。小さな子供が残り、・・・・・・。(51~80)

・私の知り合いの方が毎年「第六垂水丸」の朗読会やイベントを開催されております。私の親戚の方も乗船して亡くなり、小さい頃から垂水丸に乗っていると聞いてはいましたが、詳しいことは何も知りませんでした。朗読会やこのようなイベントで語り継いでいかないと、本当にだれも知らなくなるのではないでしょうか?(51~80)

・良かった。(81~)

・こんな事があることを知らなかったので、勉強になりました。(11~20)

・詳細を知ることが出来ました。(51~80)

・たまたま会場で、市役所跡地に並べられた遺体を見た方にお会いしました。(51~80)

・父が乗船していましたが、幸いに助かりました。幼い頃から、年に二回の誕生日をしました。私はまだ生まれていませんでしたが、子どもの頃より何度も聞かされていたので、目の前でその風景を見ていたように感じています。(51~80)

・この遭難を知って、とても悲惨な遭難だと思いました。(11~20)

・私が子供の頃、「赤十字垂水園」というところがあり、ベトナムからの難民の子供が垂水小学校へ登校していました。そのあたりの記録を見たいと思いますが、あまり見つけることができません。難民のほとんどが中華系の人々だったのが理由かもしれませんが、きちんと記録して資料に残しておくことはできないのでしょうか。(21~50)

・わかりやすい(11~20)

・小学4年生でした。(81~)

・とても考えさせられた。(21~50)

「垂水市立図書館」垂水会場

良かった/37名 アンケート記入者/19名   21~50・3名、51~80・14名、81~・2名

・祖父がこの事故で無くなり、残された祖母と父を含めた兄妹たちがとても苦労したことを聞かされて育ちました。叔父も亡くなり、父が学校にも行かずに大工となり、弟、妹たちを養ったことなど聞いていたので、昨年亡くなった父の代わりに見に来ました。これから、父のお墓に行き、一緒に眠っている祖父や叔父にも、見てきたことを報告しようと思います。できれば、父と一緒にこの話をしたかったです。企画、ありがとうございました。(51~80)

・貴重な資料、是非,後世に語り継ぎたいですね。(51~80)

・今後もずっと展示会を続けてほしい。忘れないように。(51~80)

・これからも語り継ぐことが大事。悲しい苦しい時代がない方がよいし、平和であってほしい。(51~80)

・母の姉(私のおば)が乗っていたと母から聞いていた。母も連れて来たかったのですが、歩けず、今日は孫を連れてきました。記事を見て、涙があふれました。乗船客数が多かったと聞いていましたが・・・・。

軍刀を持って、脅迫し、出港を命じた・・と記されてあり、びっくりでした。おばは、18連隊所属兵士(夫)の面会に行くところで、重箱を持っていた、と思う。その時、お腹も大きかった、19歳だったと母より聞いています。今、元気だったら99歳、母は96歳です。姉の分まで長生きしています。姉のことは忘れていません。(51~80)

・昭和19年旧制中学2年生でした。同級生の前野君が垂水丸で死亡しました。悲しんだことを思い出します。(81~)

・自分の地元でこのような悲惨な出来事があったことを知り、衝撃を受けました。(21~50)

・拡大コピーで読みやすかったです。(21~50)(51~80)

・末永く語りついでいって欲しいです。(51~80)

・未来に渡って残すべき資料の数々、常設展示すべきと思います。(51~80)

・いつか来てみたかった展示会に来られてよかった。この悲劇を忘れさせないよう垂水史談会の皆様、健康に十分気を付けられ、活動されて下さい。有難うございました。(51~80)

・前回と違う資料もあり、しばらく見させてもらいました。ありがたいです。(81~)

・当時、亡父が鹿屋高校3年で垂水丸に乗船し、生き残った1人です。このことは、父が亡くなり、10年ほど前にしりました。語る気持ちになるのに、それだけ歳月を要したのが、この展示を見て分かったような気がします。(51~80)

・ほとんど知らなかったけど、展示物を見させてもらって、色々なことを知りました。(51~80)

・今日的角度を加えながらの展示、良かった。(51~80)

垂水市談会55号 会報 ←パネル展の報告などが記載されております。

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