「慰霊」と「追悼」

2024年

3月下旬から4月末にかけての時期は、鹿児島県内やその付近で、「○○慰霊祭がありました。」という新聞記事をよく目にします。

なぜ、この時期に多いのか、慰霊祭をする日時に起因する出来事が、戦中、戦後にあったのか、詳しく調べたことはないのですが、毎朝新聞を開くたびに、各地で様々な慰霊祭が催されていることを知ります。

鹿屋、知覧、出水、加世田の万世に特攻基地があったことは知っていますが、それ以外にも多くの特攻基地があり、多くの若い兵隊さん達が出撃していったことを記事で読むと、なんとも言えない気持ちになります。

さて、それらの催しの名は、「○○慰霊祭」と名付けられたものが多いようです。

そして、毎年8月15日政府主催で行われるものは、「全国戦没者追悼式」という名です。

「慰霊」と「追悼」の違いについて、 ネット上のいろいろなサイトで検索してみると、大まかに
「慰霊」は、死んだ人や動物の霊を慰めること。
「追悼」は、死者の生前をしのんで、悲しみにひたること。
と書いてありました。

私たちは、戦争という時代に生まれた人々が、国を守るために前線で戦い死んでいったこと、銃後の守りで死んでいってしまったことを忘れないように努めることはとても大事な事です。
一方で、「慰霊」や「追悼」という儀式を執り行うことに自分の気持ちを納得させてしまってはいけないと思うのです。

私自身が、戦争の道へ進んでいかないためには、亡くなっていかれた方々の霊を慰めたり、偲んだりすることではなく、生きたかったのに、死ななければならなかった方々の魂を呼び起こし、私を怒ってもらうことです。
「こらっ!また、戦争をするのか!」っと。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

上段「4月6日 旧海軍宮崎航空基地から出撃した航空特攻隊員131人を追悼する慰霊祭」

下段「4月6日 特攻戦没者慰霊祭」 都城西、都城東の両飛行場から特攻隊「振武隊」79名が出撃死、援護機搭乗員らを含め149名が亡くなった。          南日本新聞2024年4月12日付

4月18日 1944年、徳之島町亀徳沖で米潜水艦の行来を受け沈没した「富山丸」の供養式 犠牲となった方々 約3700人 

     南日本新聞2024年4月21日付




コメント

  1. せしたみつる より:

    慰霊と追悼、似て意味の違う言葉だと考えさせられました。
    慰霊や追悼が自分の気持ちの慰めにとどまっているだけでは、いけないですね。
    戦争犠牲になられた方々を慰霊したり、追悼するのにはやはり、なぜ戦争になったのか、なぜ戦争中にそのような事件が起きたのか、なぜそのような犠牲者が出たのかを客観的に検証しないと、いけないのであり、戦争はやってはいけないという反省の先に、戦争にならない為にはどうすればいいのかと問い続ける事も必要かと。

    • shunkou より:

      コメント、ありがとうございます。戦争にならないためにはどうすればいいのか、考え続けています。考え続ける事しかできません。始めてしまっった戦争は、終わることができないことを、ウクライナ対ロシア、イスラエル対ハマス(パレスチナ)が教えてくれています。始めてしまった戦争を、各国が自国の勝利を求め続けていく限り戦争は終わらないでしょう。日本は負けたことにより、戦争を終わらすことができた、のだと思います。ただ、初めから勝てる戦争だったかは、疑問ですが。