5月3日「憲法記念日」に寄せて

2024年

日本国憲法                     瀬下 三留

5月3日憲法記念日にあわせて。

日本国憲法には”改憲派””護憲派”と常に意見が交錯しています。
この議論が、現時点で78年続いています。

昭和20年、日本の敗戦を機にアメリカ軍を主力とする連合国軍が日本を占領しました。

連合国軍と言ってもアメリカ軍による単独占領で連合国軍最高司令官総司令部GHQが東京に置かれました。

GHQは同年10月に大日本帝国憲法を改正して新憲法を作るように指示を出しました。

当時の幣原喜重郎内閣しではらきじゅうろうないかくは改正の草案を作りましたが、発表前に新聞社にスクープされ、草案の中の「天皇の統治権」を見たマッカーサーが不快感を示し、GHQの民政局に憲法草案の作成を命じました。

GHQの最大目的である「日本を二度とアメリカに刃向かえない国にすること」があるため、新憲法草案に「戦争放棄条項があったことはいうまでもありません。

翻って”改憲派””護憲派”で今でも一番議論の的になるのが、憲法9条です。
それは次の二項から成ります。

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない

これがいわゆる「戦争放棄」条項です。

しかし、さすがの民政局メンバーも「憲法にこんな条項があれば、他国に攻められた時、自衛の手段がないではないか」と反対する声が上がりました。
そのため、「前項の目的を達するため」という文言を追加して、自衛のために戦力を保持することができるという解釈可能な条文に修正されました。

この日本国憲法を起草したのはマッカーサーであると米国の公文書にもあるが、マッカーサーは日本人に「9条は押し付けられたものではない」ということにするのが大事だったのです。

このような紆余曲折があって成立した新憲法は、手続き上は大日本帝国憲法を改正する形式を取り、日本国憲法として昭和21年11月3日に公布、翌年5月3日に施行されました。

日本政府が11月3日の公布日にこだわったのは、その日が「明治節」だからです。
明治天皇の誕生日を旧来祝っていた日本人に、GHQは明治節の廃止を要求していました。
それに抗い、日本政府は11月3日を祭日にして残すことにこだわりました。
名称こそ、明治は使えませんが「文化の日」として残し、それから半年を経過して、5月3日の憲法発布の日として定めました。

そのような経緯で成立した憲法であり、改憲、護憲さまざまな議論が残りますが、5月3日の憲法は明治節を残したい日本人の思いがあったのです。

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