「万世特攻平和祈念館」訪問 4月8日(月)

2024年

南さつま市加世田にある「万世特攻平和祈念館」に初めて行ってきました。

万世特攻基地は、昭和18年1月、戦況が悪化を辿り始めた頃、飛行場基地造成地のために集落85戸が移住、農地買収が行われ、昭和19年8月、突貫工事の末、完成したそうです。

祈念館の案内パンフレットには、「万世特攻基地の歴史」として、『特攻隊が飛び立つ基地も知覧飛行場だけでは間に合わず、急きょ突貫工事で造られる』、と書いてあります。

知覧特攻平和会館のように大きな建物ではありませんが、ゆっくりと展示物(特攻隊員達の遺書や手紙など)を見ることができる落ち着いた雰囲気です。
そのため、当時を生きた若き青年たちの心情と向き合い、感じることができる空間だったような気がします。

ぜひ、万世特攻平和祈念館へ足をお運びください。

最後に、下記の写真と共にパンプレットに書かれていたメッセージをお伝えします。

平和への祈りをこめて

日本三大砂丘の吹上浜に昭和19年の終わりごろ、
陸軍最後の飛行場が建設されました。
しかし、終戦間際のわずか4ヶ月しか
使われなかったので、
『幻の特攻基地』と言われています。
そしてこの万世特攻基地から
十七歳の少年飛行兵を含め201名の特攻隊員が
祖国を護るために沖縄に出撃していきました。
特攻隊員には遺骨はありません。
しかし、この世に残した遺書や
残された遺品があります。
残された品々は時代を超えて
今に語りかけます。



コメント

  1. せしたみつる より:

    「子犬を抱く特攻兵」として有名な荒木幸雄伍長17歳の笑顔が悲しいです。
    撮影の翌日飛んで行きました。

    「最后の便り致します
    其後(そのご)御元気の事と思ひます
    幸雄も栄ある任務をおび
    本日(廿七日)出発致します
    必ず大戦果を挙げます
    桜咲く九段で会う日を待って居ります
    どうぞ御身体を大切に
    弟達及隣組の皆様にも宜敷く
    さようなら」

    ご両親に今生最後の手紙を残して。

    • shunkou より:

      コメント、ありがとうございます。この写真は、知覧の平和特攻平和会館でも見かける方も多いと思いますが、この万世の基地から飛んでいかれという事を知りました。17歳だったんですね。とても立派な遺書ですが、だからこそ、一層悲しみが増します。この世に生まれてきたかけがえないいのちの存在に、このような死に方をさせてしまうような当時の大人たちを恨みながら、今、自分もそんな大人になっているのではないかと感じられ、恐ろしくなります。