出征
その後、私の体調は一進一退でした。
五月に入り、雨の日の昼下がり「瀬下さーん、瀬下さーん。」と玄関先で呼ぶ声が聞こえたので、出てみたら知らない人でした。それは役所の兵事係でした。
「瀬下深志さんのお宅ですね?」
「深志さんはいます?」
「仕事に行って、今はいません」
「おめでとうございます。」とだけ言って、私に通知書を渡しました。
私はただ、「ありがとうございます。」とだけ答えて受け取りました。
「赤紙」いわゆる「召集令状」でした。
5月15日に入隊するように書かれていました。
私は呆然と立ち尽くしたまま、赤紙を見つめていました。
人間は極限状態に陥ったら違うことを考えるもので、「赤紙は赤くない。ももいろだ」と思ってその紙を見つめていました。
それから入営までの日々は慌ただしく過ぎていきました。
深志さんが一番心配していたのは私の病気の事でした。
誰が面倒を看られるのか、ということで内地から弟の正盛が駆けつけてくれるように手配してくれたのでした。
入隊の前日、つまり十四日の夜、深志さんはこう言ってました。
「わが関東軍は最強の軍隊だ。八路軍など目じゃない。」
でも、そう言いながら、これからの運命を不安に思い、どこか寂しそうに遠くを見ていました。
私は、「どうか、突撃の合図には一番後ろにいて。どうか撤収の合図には一番前で逃げて!」
と、口には出せない思いでいっぱいでした。
その夜、私はまんじりともせず一夜を明かしました。
それは深志さんも同じだったようです。
出征の見送りに病気をうつすといけない、ということで、鞍山駅まで見送りに行かず、社宅前でお別れしました。
鞍山駅での出征の様子を見送りに行ってくれた志づさんが教えてくれました。
もうその頃は出征に大げさな見送りはなかったのです。
それでも「武運長久」ののぼり旗と、「万歳」の連呼はあったそうです。
私は思わず、「人が死ぬかもしれないところに行くのに、どうして万歳なの?お国のために人が生きてはいけないの?」と、怒りを口に出しそうになったほどでした。
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