「鹿児島空襲体験を聞く会」7月27日(土)

2024年

7月27日(土)10時~12時
鹿児島市民福祉プラザ5階 「鹿児島大空襲のお話を聞く」を参加者33名で開催しました。

 今回は、私が自問自答している「戦争を語り継ぐことは、平和な未来をつくることになるのか?」ということを参加者へ投げかけ、「戦争は絶対におこしてはいけない。」という決まり文句だけで終わらず、各自が考え続ける「問い」を持ち帰っていただく会として終了したように感じています。

 谷口あい子さん(84歳)のお話から

 谷口あい子さんのお話は、以前このブログでも紹介させていただきましたので、
先ずは以下をご覧ください。
『五歳児の記憶ー昭和20(1945)年 6月17日鹿児島大空襲から終戦後へー』

 今回、印象に残った言葉が「行くあてのない逃避」という言葉でした。夜中に空襲警報がなり、布団から起き、外に飛び出し、通りに出たものの、通りはあてもなく逃げまどう人々であふれていたそうです。
 どこへ逃げれば安全なのか、どこに行けばこの空襲の難を逃れられるのか、誰もわからないまま、人々は群れとなり、あっちに行ったり、こっちに行ったり・・・。

 そんな中、お母さんがその雑踏の中で転んでしまい、娘のあい子さんにこう言ったそうです。
「もういいよ。ここで死のうよ」と。

 とっさに谷口さんは、何言ってんの!という気持ちが沸き起こり、お母さんを引っ張って逃げたそうです。その後の記憶は、全く途絶えてしまっている、と話されました。

「行くあてのない逃避」・・・私たちは、避難訓練をするときは、必ず安全な場所が先に定められており、そこを目指して、逃げる、という行動を起こしますが、実際、原発事故や震災、桜島の噴火など起こった時、想定していた場所まで順調に逃げることができるのか、またまたその場所が実際安全であり得るのか、など、この言葉を聞いて、私は自分の起こりうるかもしれない未来を想像しました。
 
 幾度か谷口さんは、自分の幼少期の体験が、戦争体験だとは思わず、生きてきた、と話されました。その一方で、戦争というものに対してずっと考え続けておられることもわかりました。

 お話の後半では、日本の過去に遡った戦争(例:刀伊の入寇といのにゅうこう)の出来事を紹介され、その戦争がどのようなものであったかが、今後日本の平和保持について考える一つの視座を与えてくださったように思います。

鹿児島駅空襲 1945年7月27日

 今日は、ちょうど鹿児島駅空襲の日でした。2015年に収録した体験者のDVDを視聴し、その後、昨年、知覧特攻平和会館で行われた『平和へのメッセージ from 知覧 スピーチコンテスト』一般の部で特選入賞された肝付友美さんに東郷京子さん(故人)が書かれた「私と戦争」という手記から、7月27日の空襲体験の部分を朗読してもらいました。 
 とても臨場感あふれる朗読で、視聴したDVDの映像と重なり、当時の様子を疑似体験できたような感じでした。だからこそ、今、我が身があることが実は、当たり前ではないことを知らされたようでした。
 昭和20年7月27日東郷京子さんの手記

 鹿児島駅の慰霊碑へお参り

 会、終了後、4名で鹿児島駅の慰霊碑へお参りに行きました。「かごしま平和の未来館プロジェクト・かごしま」代表の野田洋一郎さんが、当時の爆撃がどのようなものであったのかを説明してくださいました。

 献花は、毎年、大竜町にある吉田葬祭さんが寄贈してくださり、今年もお供えさせて頂きました。毎年、忘れずにいて下さり、感謝しております。有難うございました。 

                                      筆責:山下春美

 

  

 





コメント

  1. せしたみつる より:

    素晴らしくまとまっていて、いつもながらよく文章をまとめられるなあ、と感心いたします。

    いづれにしても、東郷さん、谷口さん共々当時の出来事をつぶさに残しておられることと、それをまとめる山下さんの編集で当時の様子が蘇ってきます。

    ほんとに当時の固有名詞の方々にお会いしているようです。
    でももう会えることの出来ない方々なのですね。
    やはり今話してくださる人がいれば聞いておきたいですね。
    そんな貴重な方々を発掘してくださる山下さんの行動力はありがたい限りです。

    肝付さんはあの長い東郷さんの手記を全文どこも噛みもせず一気に朗読したのですね。

    みんな凄いもんです。

    谷口さんの子どもながらに死ぬのはいやだ、と母親に抵抗した事はすごい事ですね。
    だからお母さんも生き残ったんです。
    谷口さんの強い意思を感じます。

  2. 春光 より:

    コメント、有難うございます。谷口さんが、5歳にして、「死ぬのは嫌だ。」と言わしめしたのは、何だったのか、と深いものを感じます。生きることも死ぬことも大変だとしみじみ思うことです。