昨日の南日本新聞の「時言」というコラムに『抑留者の黒パン』と書かれたタイトルが、
目に止まりました。
冒頭、「一本の黒パンの切り分けに鋭い視線が注がれる。・・・・・」
まさしく、この上記の写真の絵の様子と同じだと思います。
著者は、東京にある平和祈念展示資料館を訪れ、この絵と同じようなジオラマを見ました。
それは、 漫画家の故斎藤邦雄さんが、約3年間の抑留生活で体験したことを紙芝居に描かれた
1シーンだったようです。
この上記の写真の絵は、「戦争を語り継ぐ集い」のメンバーで5年前に作成したシベリア抑留絵画
展示パネルの一つです。
2015年から始めた、「集い」の集まりは、回を重ねるごとに参加者が増え、段々と旧満州や北朝鮮から引き揚げてきた方の参加者が多くなってきていました。
その中の一人、Tさんは、約4年間のシベリア抑留者でした。
「集い」では、できる限り参加者全員の声を聞きたい、と思ってやっていますので、
最後の方では、一人ひとりにマイクを回します。
すると、Kさんは、必ず、毎回、毎回、自分のシベリアでの体験を懸命に話されました。
何度も聞くうちに、参加者の一人、Aさんが(40代・女性)が、
「Kさんの体験を、絵のうまいTさんに描いてもらって、それを展示公開するのは、どうですか?
シベリア抑留について知らない人がいると思うので、知ってもらうためにも、いいと思います。」
という提案をしました。
抑留体験者Kさんは自分の体験を話すことはできますが、描くことは苦手だったので、代わってTさんが、描く、という案が浮上したのでした。
絵のうまいTさんも、2歳の時に、お母さんの背中におぶわれて、旧満州から帰ってきた人でした。
早速、その作業に取り掛かることにし、先ずは、Aさんが、毎回話されるKさんのシベリア抑留での体験
話を、時系列に記述していき、それをいくつかのパートに分けます。
そのパートに書かれてあるKさんの体験を、絵のうまいTさんが描く、という流れです。
しかし、ここで抑留者のKさんと抑留体験のないTさんの間に大きな壁ができました。
抑留者Kさんが体験したことを、体験していないTさんが描くということは、それは、Tさんが想像できる範囲の絵にしかならないのです。
だから、Tさんは、何度も抑留体験者Kさんからやり直しを言われるのです。
それで、私たちも困ってしまい、TさんになんとかKさんの体験を画像として想像しやすいように、
舞鶴引揚記念館が発行している冊子などを取り寄せ、そこに描かれてある絵を、Kさんに見てもらい、
「こんな感じですか?」「こういう感じですか?」と確認をしながら、絵を描き進めていったわけなんです。
この新聞記事の『時言』に書かれてある内容も、私たちがKさんから聞いた抑留中の話とほとんど同じです。
抑留者の一日の食事量が、通常350gのパンとおかゆとスープだけ。
昨日、このブログで公開した「中国従軍日記」の中にも、食べ物の話がたくさん出てきました。
お腹が空いて、缶詰を盗んだ、とか、饅頭の食い逃げをした、とか、中国人の家に入り、サツマイモが
蒸してあったのを取って食べた、など、空腹の辛さが書かれています。
このコラムの最後には、ウクライナをはじめ、シリアやソマリアなど、戦争や内戦による人道危機で餓死者が出ている、との報道がある、と、書かれてあり、「終わりが見えない恐怖と飢えは想像を絶する。遠く離れた地の不条理とむごさは、斎藤さんの悲痛な抑留生活と重なって見える」と結ばれています。
残念ながら、昨年、抑留体験者のKさんと絵を描かれたTさんは、お亡くなりになられました。
絵を描き進める作業過程で、二人の間に立ちはだかった壁は、以前、戦争体験者が、戦争を体験していない私に、「あんたに話しても、わからん」と言って、悔しそうな、残念そうな表情をして話をするのを諦めてしまわれたことと似ていました。
壁が意味するものは、戦争によって生み出された悲惨さや苦しみを目の前に人にわかってもらえないという悲しみなのでしょうか。私にはまだわかりません・・・。
2022年4月13日 筆責:山下春美
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