「あなたはどこで玉音放送を聞きましたか?」 記録・報告者:松山ゆかい
8月9日(日)10時〜12時 「あなたはどこで玉音放送を聞きましたか?」というイベントを開催しました。(場所:かごしま市民福祉プラザ4階)
昭和20年8月15日正午。昭和天皇は、自ら太平洋戦争終結の決定を国民に伝えるために4分半の「玉音放送」を行いました。内容は、「大東亜戦争終結ノ詔書」を昭和天皇が音読したものです。
本日は、実際に玉音放送を聞いた男性のお話を聞きました。

男性は当時小学生で、自宅の縁側で、当時流行していた漫画「のらくろ」を読んでいたそうです。
父に「大事な放送があるから来い。」と呼ばれてラジオの前に集まります。内容は理解できませんでしたが、放送を聞いて肩を落とした父の様子を見て、子どもながらに内容をなんとなく察したそうです。
玉音放送の内容を理解したときの感情は、あまり覚えていないとのことでした。
戦後の暮らしは貧しく、主食は団子がほとんどで、白い米が食べたいと心の中で思う日々だったそうです。
7月26日のポツダム宣言を日本が受諾していれば、8月6日に広島、10日に長崎に落ちた原子爆弾で膨大な数を死傷者を出さずに済んだのではないかと憤りを感じているとお話ししてくださいました。
また、男性は六月灯の灯籠に、武器が溶解して新たな物に変化していく素敵なイラストを、平和や男女平等への願いを込めて描いたそうです。
玉音放送以外にも、当時の日本の様子や生活のことまで、時間の許す限りではありましたが、沢山のお話を聞くことができました。
男性のお話を聞いた後、参加者全員で「あなたにとって戦後80年とは?」というテーマで5分ほどのリレートークを行いました。
両親の壮絶な戦争体験、憲法9条に対して考えること、なぜ日本は戦後80年を戦争を行うことなく迎えられたか、平和のために取り組みたいことなど、一人ひとりが戦後80年に際して考えていることを発表し合い、さまざまな意見や思いが飛び交う、とても有意義な時間になりました。
玉音放送を3歳頃に聞いた方は、もちろん放送内容は理解できませんでしたが、子ども心に「最近、飛行機が飛ばなくなったなぁ。」と思い、戦争が終わったことを察したと話されていました。
戦時中の、全国民が同じ方向を向く様子を向日葵の花に例えてお話をした方もいました。太陽に向かって咲く向日葵は美しいですが、人類は向日葵のように全員が同じ方向を向く必要はありません。同調圧力に屈することなく、自分の向きたい方向を向くことができるのは、日本が戦争のない国だからこそだなと改めて感じました。
長崎 原爆投下の日

本日は、長崎県に原子爆弾が投下された日でもありました。2名の参加者の発案で、「長崎の鐘」の斉唱と、11時2分に1分間の黙祷を行いました。
(新堂忠和さん91歳 長崎の鐘を歌うためにピアニカを持参され、ホワイトボードに歌詞を書いて、みんなで歌うことを提案してくださいました。)
「長崎の鐘」の一番の歌詞を紹介します。「長崎の鐘」藤山一郎
こよなく晴れた 青空を
悲しと思う せつなさよ
うねりの波の 人の世に
はかなく生きる 野の花よ
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の 鐘が鳴る
広島の平和記念公園を訪れた日のこと・・・
広島県の平和記念公園内に、「平和の灯」があります。火は、昭和39年8月1日に点火されて以来ずっと燃え続けており、「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう。」という反核悲願の象徴となっています。
私が行った日は土砂降りの雨でしたが、雨の中力強く燃える炎を見て、強い信念を感じたと共に、火を消すことができるよう私たちが努力することが多くの犠牲者への弔いになるのではないかと考えたことを思い出します。どうか一日でも早く、その火が消える日が来てほしいと願うばかりです。
報告・記録者:松山 ゆかい
【鹿児島の近現代】連続トークイベント「鹿児島県における戦争記憶の継承活動」 参加感想 松山 ゆかい
2025年8月10日(日)13:30~15:30
鹿児島市中央公民館 第一中会議室
発表者:出水市の平和学習ガイドの会 神 信裕さん
戦争を語り継ぐ集い・かごしま 山下 春美さん
◎出水市の平和学習ガイドの会
平和学習プログラムを、子どもたちの立場に立ち、「自分事」として戦争について学べるよう、地域にスポットを当て、出水地域の戦争遺跡についてや、出水地域に住んでいた方が子ども時代に体験した戦争の証言を取り扱っていたのが印象的でした。
2025年8月1日にオープンした「戦争の記憶」展示室では、出水市民から贈呈された戦争に関する遺品なども展示されており、当時の情勢や生活などが記されたパネルもあるそうです。学び、継承の場がまた一つ増えたことが嬉しいです。
◎戦争に加担しないためにどうすればいいか?
山下さんが多くの人と戦争について語る中で多様な意見が出たことを知り、改めて一人ひとり異なる考えを持つのは人間だからこそだなと感じました。
特に印象深かったのは、日本は敗戦国だからこそ親しい人を失った辛さや悲しみ、戦争への批判や反省を語り継ぐことができるということです。過去に戦争に勝った時には、殺しを勲章として祀り上げ、家族を失った悲しみも名誉とされており、美しい言葉で美談として片付けて国民が批判しないよう抑制していた可能性があります。戦時中、「非国民」という言葉を恐れて上意下達の命令を無疑問的に従い、人々は同じ方向を強制的に向かされていました。当時の日本国家を恐ろしいなと感じました。
山下さんのお話を聞き、戦争に加担しないためには、人に従うだけでなく自身の揺るぎない信念を軸に行動することが大切だと学びました。
コメント
若くて美しいスタッフの協力が新しく導入され、今後もさらに「語り継ぐ集い」は発展していくと思い、頼もしい限りです。
コメント、ありがとうございます。「導入」😅されたわけではありませんが、「語り部になりたい」という思いを持った女性との出会いは、この集いにおいても、かけがえのない存在となってくれると思っています。時に、人生とは思いもよらない有難いことが訪れるものですね。感謝しています。