3月1日講演会:「中国・重慶爆撃と鹿屋海軍航空隊」

2024年

3月1日(土)10時~12時 定員50名 無料(活動支援のためのカンパ受けつけております!

鹿児島市民福祉プラザ(鹿児島県民交流センター前の消防会館の5階)で標記講演会を開催いたします。
講師お二人に、40分程度お話をしていただいた後に、質疑応答を予定しております。
問い合わせ先:山下春美 090-5023-9282

講師:江山(ジャン・サン)さん
   鹿児島大学「鹿児島の近現代」教育研究センター 特任専門員(博士)

講師:小手川 清隆さん
   鹿屋空襲・戦跡研究会 会員

           引用:「満洲暴走 隠された構造 大豆・満鉄・総力戦 」著 安冨 歩 

重慶爆撃とは、1938年12月から1941年までの4年間、日本軍が重慶におこなった戦略爆撃の事です。
中国国民党の蒋介石政権が重慶に首都を移したため、重慶に攻撃を始めました。

戦略爆撃とは、敵国の都市や工場を爆撃し、戦争継続の意思そのものを破壊しようとするものです。これは、敵軍の兵力・軍備を叩いて、戦力を破壊しようとする爆撃とは本質的に異なっています。(中略)首都を戦争終結のために集中攻撃する「戦力爆撃」は重慶が世界初ではないか、と考えます。
(中略)ともあれこの戦略爆撃の手法が、のちにロンドン爆撃、報復としてベルリン空襲、そして東京大空襲、原子爆弾投下への発展していきます。

ところが実は、この重慶爆撃はまったく効いていなかったのです。陸軍に遠藤三郎というたいへん優秀な軍略家がいました。彼が参謀としてこの作戦の担当になりました。彼は普通の腰抜け参謀とは違い、爆弾を落としに行く爆撃機に便乗して視察したのです。そして、何回か行くうちに、
「これは効果がないから止めましょう」という報告書を書きました。
なぜなら、いくら爆弾を落としても重慶の街がどんどん拡大している、こんなやり方では戦争は終わらせることはできない、と、実際、41年に重慶爆撃は打ち切られました。

重慶への爆撃機は、鹿屋基地から飛び立っていきました。
1940/08/19 鹿屋空の漢口からの重慶攻撃-B区空襲 3/3

重慶・鹿屋の両都市の状況を、専門家から聞くことで、物事を多重層的に捉え、考えることができることになるのではないかと思っています。 楽しみな講演会です。

次回のお知らせ

3月22日(土)10時~12時 鹿児島市民福祉プラザ小会議室1・2
「満洲をどう捉えるべきか~引き揚げ2世の証言を通して~」 講師:鹿児島県立短大名誉教授 疋田京子さん

満洲の学習会は、今年は3回隔月で開催予定しております。 連続でお越しくださいますと、幸いです。

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