本の紹介:「字のない葉書」向田邦子

2024年

向田邦子の「字のない葉書」 瀬下三留

 向田邦子には、終戦の年の1945年に小学校一年生だった年の離れた妹がいた、と言っている。

 その年の四月、妹は甲府に学童疎開(先の大戦の戦局の悪化に伴い、戦禍を避けるため大都市の学童を地方都市や農村に集団的また個人的に移住させること)することになった。

 妹の出発が決まると、暗幕を垂らした暗い電灯の下で、母は当時は貴重品になっていたキャラコで肌着を縫って名札を付け、父はおびただしい数のハガキに几帳面な筆で自分あての宛名を書いて、妹に「元気な日は○(マル)を書いて、毎日一枚ずつポストに入れなさい。」と言ってきかせた。

 妹はまだ字が書けなかった。

 父はふんどし一つで家じゅうを歩き回り、大酒を飲み、かんしゃくを起こしては母や子どもたちに手をあげる暴君であった。

 妹はあて名だけ書かれたハガキの束をリュックに入れ、まるで遠足にでも行くようにはしゃいで出かけていった。

 一週間ほどで、初めてのハガキが着いた。
紙いっぱいはみ出すほどの、威勢のいい赤鉛筆の大マルである。

地元婦人会が赤飯やぼた餅を振る舞って歓迎してくださったとかで、かぼちゃの茎まで食べていた東京に比べれば大マルに違いなかった。

 ところが、次の日からマルは急激に小さくなっていった。
情けない黒鉛筆の小マルは、ついにバツに変わった。

 その頃、少し離れたところに疎開していた上の妹が、下の妹に会いに行った。
下の妹は、壁に寄りかかって梅干しのタネをしゃぶっていた。
姉の姿を見ると、タネをペッと吐き出して泣いたそうな。

 まもなく、✖(バツ)のハガキも来なくなった。
三ヶ月目に母が迎えに行ったとき、百日ぜきを患っていた妹は、シラミだらけの頭で三畳の布団部屋に寝かされていた。

 妹が帰ってくる日、私(向田邦子)と弟は家庭菜園のかぼちゃを全部収穫した。小さいのに手をつけると叱る父も、この日は何も言わなかった。

 私と弟は、二十数個のかぼちゃを一列に客間に並べた。
これぐらいしか妹を喜ばせる方法がなかったのだ。

 夜遅く、出窓で見張っていた弟が、「帰ってきたよ!」と叫んだ。
茶の間に座っていた父は、裸足で表へ飛び出した。

 防火用水桶の前で、やせた妹の肩を抱き、声を上げて泣いた。 

 いつも怒ってばかりの、怖い父の大きな泣き声が静かな夜に響いていた。
私は父が、大人の男が声を立てて泣くのを初めて見た。

        (了)

向田邦子「字のない葉書」より

本作は、角田光代氏作、絵西加奈子氏の合作で幼児向け絵本になってます。

日本は大戦末期には、このように普段は普通の暮らしをしていた、家庭の子どもたちまでも戦争の犠牲になっていました。

戦争は憎むべきものです。攻撃してはいけない、ましてや攻撃されてもいけないと思ってます。
あってはならないが、攻撃されて戦争は始まるのです。
戦争が起こらないように準備しておくべきものだと思います。

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