「旧満州国黒川開拓団でソ連兵に差し出された娘たちの取材番組を見て」2022年5月28日(土)

2022年

1945年の夏、日本の敗戦は満州開拓団にとって、地獄の日々の始まりだった。崩壊した「満州国」に取り残された黒川開拓団(岐阜県送出)は、日本への引揚船が出るまで入植地の陶頼昭に留まることを決断し、集団難民生活に入った。しかし、暴徒化した現地民による襲撃は日ごとに激しさを増していく。団幹部らは駅に進駐しているソ連軍司令部に助けを求めたが、今度は下っ端のソ連兵が入れ替わるようにやってきては、”女魚り”や略奪を繰り返すようになる。頭を悩ました団長たちが取った手段とは・・・・・・・・。

引用:「ソ連兵に差し出された娘たち」著者 平井美帆(集英社発行)

今年1月に出版された「ソ連兵に差し出された娘たち」著者平井美帆(集英社発行)を読みました。
以前、知人から「見てみたら」と渡されたDVDが、その娘さんたちが戦後70年を経て、語りだされた
取材番組の録画でした。(黒川開拓団についての詳しい内容は省略させていただきますので、以下を をクリックしてご覧ください。『黒川村 乙女の碑』

今回は、そのDVDを見た後、参加者3~4人の小グループに分かれていただきました。そして、私が一つの「問い」を投げかけ、その問いについて、グループで意見交換をしていただきました。

初の試み、グループ討議

これまでの「集い」では、前半に講話者の話を聞き、後半に参加者全員から感想、意見を発表してもらう、という進行内容でした。

しかし、そのやり方では、各人の「言いっぱなし」で終わってしまい、「集い」に参加して、聞いたこと、見たことが、いつまでたっても他人事でしかない。
戦争というものが引き起こす、残酷さ、悲惨さ、悲しさを自分事として受け止めて行かなければ、戦争を止める原動力にはなっていかない、と。そんな感覚を感じ始めていました。

その手だてとして、初のグループ討議にチャレンジしてみました!

私の投げかけた問いは?

「もし、あなたが黒川村開拓団にいたら、どんな方法を考えましたか?」
というものです。

私も4人のグループで討議しました。グループメンバーは、満州引き揚げの男性が一人、戦後生まれ、満州引き揚げに関心のある男性
従軍慰安婦問題に関心の高い男性、そして、私の四人でした。

「今、私たちは黒川村開拓団の幹部なんですよ。さぁ、どうしたらいいと思いますか?」と問いを投げかけるのですが、どうしても、その問いにきちんと向き合う討論になりません。

自分の体験話になったり、DVDを見た感想になったり、ソ連兵はひどい人達だったんだ、という話に始終して、再度、問いを振っても「時代が違うからね」とか、「生きるためにどうすればいいかが一番、大事なんだから」とか。

他のグループも回ってみましたが、その問いをきちんと議論できたグループはなかったようです。

私は決して、答えを求めていたわけではないのです。

女性を差し出す、弱いものを犠牲にしなければならない、という方法以外のことを必死に見つけることを議論しあう、その作業がとても大事なのではないかと思ったのです。
そして、そういう営みを、現代の私たちはしていない、避けている、と考えているからです。

グループ討議・参加者から

・「問い」の話しあいにはならず、ウクライナ問題や今の政治の話になった。

・問題が重すぎて、難しかった。

・私は、自分の妻も娘も守れない、そのことがわかりました。だから、妻や娘には、私は守れません、ごめんなさい、というしかない。

・意見を交換する取り組みはよかった。このような意見交換の積み重ねをしていくことが大事だと思う。

・被害の事実だけではなく、加害の事実も忘れずに並行して問うていく問題ではないか。

後日、参加者から頂いたメール

もし黒川村開拓団のリーダーだっとして、

ロシア語が使える人、あるいは英語ができる人が互いにいるかによりますが、最大限のNOと説得理解を必死に求めます。
コミュニケーションが全く取れない場合、NOの意思を表明して座り込むしかできません。あっという間に殴り倒されるか、殺されるか分かりませんが・・・
殺された後はどうなるか知る由もありません・・・

少なくとも生き延びるために要求に応じるよう未婚女性に説得することはできないと思います。
しかし、それらは今のうのうと生きているから言えること、実際その場にいれば何か理屈をつけて、要求に応じてそれを合理化することもありうることと思います。
その後、日本に帰ってきた後は、生涯そのことを心に問い続けることになるでしょう。生涯のトラウマとなって戦後を要領よく生き延びることが出来ず、貧困とアルコール依存、鬱などが予測できます。

黒川村開拓団の悲劇はロシア政府は知っているのだろうか。責任追及以前にそういう事実があったことをロシアの歴史の中に埋め込まなければ、ロシアの歴史の欠落になります。多くに人が知るに至らざるともせめてロシアの中の教育者や研究者、外交官、政権を担う人には知ってほしい歴史です。
加害国でもあった日本の被害の実相を伝えるのは難しいことですが、加害者としての責任を負うことは当然として、被害者としての責任追及も必要であり、時効はないと思います。

今後の集い

参加者の中には、グループ討議が苦手な方もいると思います。それでも、自分の頭で考えてみる、思考を止めない、という営みを積み重ねていく暮らしでしか、戦争を止める自分自身の作動は働かないのでないかと考えています。                            筆責:山下春美

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