感想:②「満洲」をどう捉えるべきか~引揚げ2世の証言を通して 張家口の記憶~ 5月24日(土)

2025年

2025年5月24日(土)に開催した標記、講演後の参加者の感想です。

講演の内容は「満洲」をどう捉えるべきか~引揚げ2世の証言を通して 張家口の記憶」

感想

Kさん:米満さん自身は、自分の人生を時代に翻弄された、という風に受け止めておられるのでしょうか?

疋田:米満さん自身は、振り返った時に、歴史の年表に出てくる出来事の中を生れ、生きてきたんだ、ということは言われていました。しかし、その事実を受け入れて、主体的に生きてきている。よく満州は第二の故郷、とか言われ方をするんですが、米満さんにとっては、両方が自分の故郷なんですね。

例えば自分自身の家族をつくる、子供を育てるとか、夫との暮らしがある、という形で日本に居る現実、今を一生懸命生きてきた。でも振り返ると、自分のルーツとか故郷というのは満州なのだなと、感じるわけです。

Aさん:僕も2歳の時に引き揚げてきましたが、結局親はあんまり語らなかったです。だから今になって、やっぱりどういう思いだったのかなっていうことを推測することが多いんです。母親は日本に引き揚げてくるまで、生まれも育ちも、満州だったので、帰ってきたときに実家の方ではなくて夫の実家に帰ったので、孤独というのはすごく感じていたのではないか。母親にとっては満州が青春だったと思う。そういうことを本に書きました。(Aさんは、祖母、母親、3代にわたっての満州での体験を本に書かれている。)

遼寧省とか、黒竜江省とか吉林省に住んでいた人たちは、かなり豊かな生活をしていた人が多かったのかなと、私の母もかなり豊かな生活をしていたらしいのですけども、当然、引き揚げの時の悲惨さは同じだと思うのですが。

Sさん:簡単に言うと、満州というのは、日本列島の人民があの大陸に行って、今のウクライナとロシアとの関係とほぼ一緒です。それは、国の為政者がそういう力で、とにかく開拓団を送ったり、鉄道をつくったりして、間違いの上に、個人たちが生きているということです。これはその時代というのは、ナショナリズムとか自分の国とか、自分が日本人という意識はなかったんだと思うんです、今ほど。

私は日本国民だとか、日本国民が簡単に大陸に行って、自分の国を築いたり、そういうことをするというのはとてもできないことで、それを平気でできた、という時代であったということと、それを進めた国、政治家の一番の犠牲者が満州国にいた人々だと思います。

何100万人の人が満州に渡っていったんでけれども、そういう人たちは国の政策によって、そういう人生を送らされたということだけは、絶対忘れてはいけないものだと私は思うんです。

個人の生活が100万人あれば、100万通りのそういう生き方があったわけですから、それを考えることも大事だけども。そういうことにならないようにするというのをかねてから、やっぱり一国民として政府とか、政治家に訴えていくべきだというのを強く思います。

編集後記 山下

満洲国は13年間しか存在せず、傀儡国家と表現されている国ですが、そこで暮らしていた日本人たちは、どのような思いで暮らしていたのでしょうか?終戦によって、住んでいる国が無くなるという現実が訪れるという事はどういうことなのか?

ある日、突然、当たり前のように住んでいた日本という国が、「いえ、実はここは、イチカバチカ国だったんです。私たちは、500年前からこの国に住んでいたんですが、日本人と名乗るあなたたちがやって来て、私たちを、隅っこへ追いやったのです。もう、あなたたちの国は、消滅しましたので、出て行ってください。」と言われたら、どうでしょうか?

この日本という島国に、日本民族しか住んでいない、と思っている人が多いかもしれませんが、実は、ルーツが大陸にある人やアイヌ人など、私たちの目に止まらないところへ追いやられている人達がいます。

実は、日本はその人たちの国だったのだ、と言われる日が来ることを想像してみることは、面白いかもしれません。

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