物語「約束の地」ー戦争を経験した父の人生ー⑳

2024年
昭和25年頃の旧川内駅

   最終章

  5年ぶりの川内

 三日かかってやっと、懐かしい川内駅に到着した。

 夏江への、はやる気持ちを抑えながら改札口に特別切符を提示した。

 これで、すべての帰還作業は終わった。

 戦争、抑留は終わったのだ。

 夏江の井上の両親も、母トメも私が抑留されていた事も知らないし、今日帰還できた事も知らない。
ましてや夏江も知らないのだ。

 喜ぶに違いない・・・・。

 私は生きている喜びをはじめて感じながら、夏江の実家がある田崎への道のりを歩いていった。

 重い荷物を背負いながら、二十分ほど歩いて懐かしい夏江の待つ田崎の見覚えのある、竹山の窪地の家の玄関に着いた。

「深志、ただいま戻りました!」と精一杯の声を出して、玄関を開けた。

 家の中では、夏江のお父さんとお母さんが五年前とは違う年老いた姿で二人、囲炉裏に座っていた。

 「深志さん!」先にお母さんが声を出して、私の方を見つめた。

 次に、私に気づいたお父さんが「残念じゃった・・・」と小さくつぶやいた。

 意味が分からずキョトンてしている私に、「夏江はこげんなって帰ってきた・・・。」と、泣き崩れながら位牌と骨壺を見せた。

 私は、「きっと大丈夫だ、政盛が必ず連れて帰ってるはずだ、川内に帰り着いてるはずだ。」と思っていたし、そうあって欲しいと、念願していた自分の気持ちから裏切られた事に憤っていた。

 少し間を置いて落ち着いてから、状況を聞こうと思っていたら、政盛が帰ってきた。

間髪おかず、「政盛、夏江はどんな風にしてこんな事になったのか?」

と、弟をまるで詰問するかの如く、いろいろ聞き出した。

 政盛には何の責任もないのに、あとで申し訳なかったと思いながら、政盛にすまないと思った。

 政盛は私が出征してから、夏江の状態は悪くなり、昭和製鋼所附属病院に入院するも、ソ連の侵攻に遭い、やっとの思いで鞍山の社宅に戻るも空襲は止まず、政盛はできるだけの看病をしたけど、21年4月6日午前2時に息を引き取ったと言った。

 前田先生に死亡診断書を書いてもらい、届出人が姉ちゃんを看取った自分だと書いたが、やはり深志兄さんが看取ったと姉ちゃんに思って貰いたくて書き直した。

 焼き場もなかなか無い中で、田所さんたちが奔走してくれて、やっと火葬して内地まで抱えて帰ってきたなどのいろいろな経緯を語ってくれた。

 私は政盛にどれほど感謝すればいいのだろう。命がけで夏江を守って帰ってきてくれた。

 私は、「政盛、本当にありがとう。どんなに頭を下げても足りない。」と、政盛に最敬礼で頭を下げた。

「深志さん、夏江は瀬下に嫁に行った身、ここに骨があっても夏江は浮かばれん。深志さんの瀬下家の墓に入れてもらえんじゃろか?」

お父さんからの覚悟の言葉だったろうと思った。

もし、私が復員して来ずに不明のままだったら、井上家の墓に入れるつもりでいたに違いない。

でも復員してきたら、将来一緒の墓に入れるようにお骨は渡すつもりだったのだろう。

すべての事を理解した私は、お父さんの言う通り遺骨と位牌を持って開聞に帰る事にした。

 井上家を出た私には、兵隊の背嚢のほかに、腕には夏江の遺骨と位牌が抱かれていた。

歩き始めると政盛が、仏壇から一枚の写真を取ってきて私に渡した。

 よく見てみると、開聞の家の外で二人で撮ったものだった。

「姉ちゃんが満州に持っていった写真じゃっど」と教えてくれた。

夏江がずっと大事に持っていたものだった。

 写真を守るようにお骨と位牌を抱きしめて歩き始めた。

人生には後悔はつきもの、どうして満州に行ったのだろうかという後悔は、夏江を失ってしまったという後悔そのものだった。

じゃあ、俺の責任は・・・?

足は開聞に向いていた。

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