『「鞍山(アンシャン」ー私たちの知らなかった父の妻、ナツエさんに捧げる物語ー』を書いてくださった瀬下三留さんが、今回は、父親、深志さんの人生に思いを巡らせて、物語を書いてくださいました。
戦争を体験した方々が亡くなっていかれる時代の流れの中で、その世代が語らなかった思いを物語として書き綴り、読むことは、戦争の辛さや悲しさを体験者と同じ思いで感じることのできるものだと思います。
戦争の時代を生きた人々の世界に、物語を通じて私たちも伴に生きようではありませんか?
はじめに 父親の戦前・戦中・戦後
わずか15年間の大正の時代に生まれた日本人の男性1348万人のうち、約200万人近くが戦死した戦争で日本は歴史上、初めての敗戦を経験した。
その事で完膚なきまでに叩きのめされて、何もかも失って世界最貧国になってしまった。
それにもかかわらず、その後わずか19年で東京オリンピックを開催し、戦勝国のどこも成し得なかった夢の超特急を開通させて、さらに戦後22年で米国に次ぐ、世界第二位の経済大国に復興させてくれたのは、大正世代を中心に踏ん張ってきて日本を高度経済成長させてくれた人々のおかげです。
それらの世代のすべての先人たちに敬意と感謝の思いをこめて創作したのが本作です。
「約束の地」 瀬下 三留
再び、戻ることのなかった忘れえぬ満州、それは「約束の地」だった。 深志
第一章
家族
あの戦争が終わって、日常が平穏に過ぎていくようになってあっという間に16年が過ぎた。
日々が早く過ぎていくのを感じる。
”もはや戦後ではない”と言われ始めて、世間では池田勇人首相の「私はウソは申しません。」発言が流行語になるほどであった。
その池田首相の提唱した”所得倍増計画”が実ってきていた昭和36年10月2日の今日、この日の新聞が我が家で”お膳”と呼んでいる、丸いちゃぶ台に乗っている。
3年先に開かれる東京オリンピックが右肩上がりの好景気にさらに勢いをつけて、本来なら20年前に東洋で初めて開催されるはずだった東京オリンピックが幻になっていたのを打ち消すほど、日本国中の期待の話題になっている。
我が家の”お膳”の上の南日本新聞に目をやると、本日午前1時半頃に発生した郡元町真砂の大火災の記事が1面を写真付きで写していて、郡元町の500世帯が全焼したことを、真夜中に強風下燃え上がる住宅を呆然と見つめるたくさんの住民たちの写真と共に収められている。
のちに空き家から出火して751棟を全焼し、774世帯3661人が焼き出されたとわかり、一帯は木造家屋の密集地でしかもその時間は7mの強風が吹いていて約80分ですべて焼き尽くして「まるで空襲」のようだったと証言されていた。
そんな絶望的な不幸もある中、我が家の食卓の周りには12歳のさよ子を筆頭に、真一、満広、三留と4人の子どもたちがいて、晩ごはんを食べ終わった長女のさよ子は、みんなの分の茶碗や鍋の後片付けで妻の手伝いをしている。そこには平穏さを感じている。
奥の台所では妻が鍋をタワシで擦っていて、今日のカレーの後片付けで鍋にカレーがこびりついたのだろうか、カシャカシャと音を立てながら鍋の汚れを落としている。
私はまだ小さな4人の子どもたちに昔話をしてやることが多くて、そうなると必然的に戦争に行った話をすることが多くなる。子どもたちは興味深げに聞いてくれるが、特にまだ5歳の三留は訳もわからないのに、ただ無邪気に「それからどうなった?そこでお父ちゃんは何してた?」などと聞いてくる子だった。
そんな三留の問いに答えることはよくあったが、この子たちに私の満州での生活を話す事ができるのはいつの事だろうか?
高校生くらいになったら話せるだろうか?
あんなことも、
こんなことも、
そして夏江のことも・・・
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