プロローグ 2014年

2014年

『昭和20(1945)年 7月27日 鹿児島駅空襲の日を語る』

日時:平成26(2014)年 7月27日(日)10時~12時

鹿児島駅近くの喫茶店で10名ほどが集まり、69年前、Tさんが経験された上町(鹿児島駅)空襲の
話を聞く会を開きました。

Tさんは、戦争の体験を子孫に伝えようと、エッセー教室に通われ、『私と戦争』という題で、大学ノートに書き記しておられました。
それを、私(山下)が代読させてもらい、会を進めていきました。

Tさんの体験

18歳当時、家族と住んでいた家は、昭和20年6月17日の鹿児島大空襲で焼かれ、上町空襲時は桜島に疎開をしていましたが、職場があった鹿児島駅近くで空襲を体験、橋の下に逃げました。
桜島への帰りの船が、お昼過ぎには、出航するということで、職場を早退して、港へ向かう途中、

「ドカーン‼」と大きな音がした。
警戒警報と空襲警報のサイレンが相次いで、鳴りひびき、すかさず、B29の爆音!

「メリ、メリ、メリ、ドカーン」

大きな音と共に、砂煙が立ち込め、立ち寄っていた散髪屋の鏡は、粉々に飛び散った。

「オジさんの後について来るんだョ」

戸外にとび出した私は、言われるままオジさんの後を追った。

散髪屋のスマおばさんや美代之オジさんの姿はなかった。

桟橋への急ぐ二人は、大きな黒い丸い物体が、海の方から、こちらへ落下して来るのを見た。

「爆弾だぁー」   

「私と戦争」Tさんの著書より

参加者の感想とTさんの願い

代読後、Tさんへの質問や感想など、参加者同士で意見を交わしました。

大隅半島からご夫婦で参加されている方がおられ、参加の理由を聞くと、奥様が

「主人の父は、役場に勤めていて、7月27日は鹿児島市内に用事があって出かけたそうです。ちょうどその時に、空襲に遭って亡くなったそうです。」と、話してくださいました。

若い教員のご夫婦の方は、

「子供たちに戦争を話をしたいと思い、体験者の方のお話を聞きにきました。」とのこと。

Tさんは、新聞社の取材に、
「多くの人に支えられ、今日まで生きていることに感謝しています。悲惨は記録を残しておけば誰かが読んでくれるだろうと思っています。戦争だけは絶対にしてはいけない」と語っておられました。

2014年7月30日 南日本新聞掲載記事より

2021年 10月、Tさんは95歳でお亡くなりになられました。 

2022年 3月 ロシアがウクライナへ侵攻する、ということが起こってしまった今日、Tさんが「戦争だけは絶対にしてはいけない」という言葉に、私は何も応えていない、ということを空しく感じています。

2022年 4月2日

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