本紹介 『決定版「南京事件」日本人50人の証言』阿羅健一

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        南京事件についての考察                瀬下 三留

阿羅健一氏著による南京事件研究の『決定版「南京事件」日本人50人の証言』を読んだ。

 この本で証言を集めている昭和50年代後半から60年頃は、当時南京に入城し、現場にいあわせた陸・海軍の軍人やマスコミ関係者、ジャーナリスト、外務省関係者など、高齢とはいえ(70代~90代)存命で証言が聞ける時だった。

日本の外務省は、南京事件について「日本政府としては日本南京入場後、非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは否定できない」と説明している。

それに対して、近現代史研究家で南京事件問題を長年研修している阿羅健一氏は、外務省にその根拠となる資料の開示を求め続けたところ、2022年1月「該当文書を確認できなかったため不存在とした」と回答してきた。

日本の外務省が初めて、南京事件の証拠の不存在を認めた瞬間だった。
明確な根拠のないまま、中国側の言われるまま政府見解が作られ、現在に至っている。
日本国内でささやかれている中国側の言う“いわゆる南京大虐殺“ではなかったのではないか?

実際の南京での現場はどうだったのか、“いわゆる南京大虐殺”というような惨状が果たしてあったのかどうか。

戦後の我々世代が知らされてきた日本軍、日本人の特異性、おぞましく残忍な国民性の集団だったのだろうか?

もちろんすべて、高潔な軍隊だったという事はなかっただろう。ひどい部分も持ち合わせていただろう。それはどの国の軍隊にも同じであっただろう。

南京入城は、昭和12年12月12日未明から13日にかけて行われました。(以下、引用)

12月20日、南京城内で見たものは、
東京日日新聞の金沢喜雄カメラマン証言

「敗残兵がたくさんいましたし、戦争だから撃ち殺したり、殺して川に流したこともあるでしょう。それは、南京へ行く途中フリークで何度も見ている死体と同じですよ。あれだけ戦線でしかも包囲作戦をとっていますから、死体があり、川に死体が流れているのは当たり前です。全滅するためにわざわざ包囲作戦をとったのですよ、南京場内も戦場になったところですから、難民が撃たれて死んでいるのは当然でしょう。それが戦争です。それを虐殺というのなら戦争はすべて虐殺になりますし、それは戦争を知らない人の話です。」

本中では、当時の各メディア関係者や従軍絵画通信員の証言が続く。(以下、引用)

上海派遣軍参謀 大西一大尉証言

昭和12年から13年にかけての南京は大西さんが最も詳しいのですか?

「そうだと思います。十数年前(昭和46年)、朝日新聞に『中国の旅』が連載された時、あまりに当時の日本軍と違うので、抗議に行って本多勝一記者を詰問したことがあります。南京事件は戦争裁判で取り上げられたが、その後話題にあるようなことはなかった。ところが、『中国の旅』の頃から今度は、日本人が(南京事件)あったと言い出した。その時、真実を知っている自分こそが本当のことを書くべきだと思い、書こうとしたことがありました。しかし、身内の者から、今さら書いても遅い、言い訳がましくて世間は信用しない、と言われてやめにした」

本中では、本多勝一記者の「中国の旅」の話題がよく出てきます。
昭和46年8月から朝日新聞に、40回にわたって連載されたルポルタージュです。

東京裁判以降、南京事件と言われる話題が鳴りをひそめていた戦後26年後、本連載がはじまったことで日本国内で南京事件が南京大虐殺と呼称を変え、それまで特にモノを言ってこなかった中国共産党が南京大虐殺と言い始め、ついには犠牲者が20万人~30万人だったと際限なく増えていった。

私も「中国の旅」を考察しました。

著作の中で、本多氏は、「南京大虐殺」として知られる事件を“南京で直接聞いた被害者たちの体験はそれまで私が読んだ限りでの記録から想像していた状況をはるかに超えていた“と評している。

そして、二日間で4人に取材したと記している。

中国の国家体制からして突然外国人が訪問して、一般人に取材できることもないだろう。
国家が準備した対象者に会って話を聞いたと解釈する方が道理が通るのではなかろうかと思える。

もう一つ「中国の旅」で注目に値するのが「万人坑まんにんこう」に関する記載である。

「万人坑」とは、日本企業が鉱山経営の中で苛酷な労働条件に使い殺された、または消耗して働けなくなった中国人を生きたまま埋める「ヒト捨て場」のことで、日本の鉱山には必ず「万人坑」があったと評されている。

本中にも働いていた中国人や見聞した日本人の証言などが多く記載されている。

「中国の旅」の連載が始まると、旧撫順炭坑関係者からの抗議が起こり始め、それに対してして本多氏は、「私は中国側の言うのをそのまま代弁しただけで抗議するなら中国に言っていただきたい」と回答している。「中国の旅」が刊行された当時は、まだ存命な方々がいたはずだが、本多氏は日本側関係者に取材した形跡は見あたらず。中国側の言い分をそのまま記事にしてようである。

話を南京事件に戻すと、さまざまな疑問が思い浮かぶ。

南京事件といわれる昭和12~13年頃の南京市には欧米諸国の外交機関も赤十字も存在しており、特派員も在住していたにも関わらず大虐殺事件の報道が見当たらない。

30万人の大虐殺ともなれば、世界中でニュースになったはずである。同じころの南京安全区国際委員会の人口調査によれば、占領される直前南京市民は約20万人で日本軍が占領した一か月後に25万人に増えている。

南京市民と日本軍兵士が和気あいあいとして写っている写真の存在はなぜか?
捕虜の殺害はあったが、民間人の大量殺害の証拠は出てきていない。

伝聞証拠以外に物的証拠がないのはなぜ?証拠写真と言われるものの大半は別事件の写真の盗用、ないし合成であると証明されている。

日中戦争は8年続くのに南京の2か月間だけ大虐殺が行われたのはなぜ?
30万人もの虐殺が行われたという南京事件で東京裁判で裁かれたのは松井石根まついいわね司令官だけというのはなぜ?
などのさまざまな疑問が生じる。

中国側にも日本側にもそれぞれ言い分があるだろうが、歴史を正しく見るということは必要なことだと思います。

これは現代戦にもいえる事だが、宣伝戦(プロパガンダ)という事に目を向ければ、中国の宣伝戦に日本側が負けている部分が多くみられると思います。

日本政府はその後の対中、韓国の宣伝戦も放棄しているように思えて、それがこれらの問題を長引かせていると思います。

〈追記〉

「南京事件 日本人48人の証言」阿羅健一
  2001年12月5日 小学館発刊

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