感想:③「満洲」をどう捉えるのか~「葛根廟事件」の生存者が残した証言を通して 7月26日(土)

2025年

3回連続「満州学習会」を開催するにあたり、疋田京子先生は多数の資料を読み込み、丁寧な資料を作成してくださいました。また、最終回は、8月15日の終戦・敗戦の日に関連して、満州での出来事を現代に結びつけて考えることの重要性を述べてくださいました。
以下、参加者の意見を紹介します。

参加者の感想・意見

〇3回の講座を通じて相星さん、米満さん、坂井さんという人物を通して満州の歴史を学べたことで、より身近に感じられた。

〇歴史の中に埋もれていた残酷な出来事を知ることができた。戦争の被害というと兵士の死や空襲などが注目されがちだが、満州での出来事のような悲惨な事件も多くあったことを知った。また、日本も他国に対して同様の行為をしたという記録もあるので、戦争は誰にでも苦しみをもたらすものだと思う。

〇母親が満州出身で、父親がシベリア抑留の経験がある。戦争を抽象的に語るのではなく、自分のルーツを探り、日本が何をしたのかを含めて受け止めることが重要である。

〇満州で生まれ育った経験がある。1937年生まれの88歳で、満州の東部で生まれ、ソ連軍の侵攻後、八路軍と共に行動し、1953年に日本に引き揚げてきた。自分がいた地域では日本軍が早く降伏したため、他の地域のような悲惨な事件は経験しなかった。また、母親がミシンを踏める技術を持っていたため、被服廠で働くことになり、引き揚げが遅れた。

〇葛根廟事件について初めて詳しく知ることができた。満州引き揚げの際に命を落とした人々や残留孤児の問題、女性たちも被害を受けたこと。戦争を防ぐために具体的に何ができるかを考える必要性を感じた。

〇満州についてあまり知らなかったが、今回の講座で根病事件について初めて知ることができた。戦争体験者が減少していく中で、戦争の記憶を次世代に伝えていきたいと思う。東京大空襲センターでボランティアをしていた経験があり、今後は鹿児島で語り部として活動していきたい。

戦争の悲惨さや歴史を正確に理解することが大事。戦争の記憶が薄れていく中で、歴史を修正しようとする動きがあることが不安。

〇満州からの引き揚げ体験者として、共通の深い思いを持つ参加者と共に講座に参加できたことに感謝する。自分たちだけが悲劇の主人公だと思っていたが、葛根廟事件のような更に悲惨な経験をした日本人がいたことを知り、改めて認識を新たにした。また、戦後姉と共に以前住んでいた満州の地を訪れたこともある。

父方と母方の兄弟14人がほぼ全員満州に関わる人生を送った。今年のお盆に家族が集まった際、満州での経験が話題になり、引き揚げの際に亡くなった子供の話を初めて聞いた。また、日米地位協定について考えるきっかけになったことや、現代の日本の国のあり方について深く考えさせられた。

〇石原莞爾や満州国の理想と現実のギャップ。日本の人口過剰政策の一環として満州開拓が進められた。戦後の教育で日本の加害行為が誇張されて教えられた。

〇家族の戦争体験や、戦争の記憶を次世代に伝えることが大切。母親が満州で生まれ育ち、父親が原爆被爆者である。両親の体験を多くの人に伝える義務があると思っている。

〇戦争を抽象的に語るのではなく、複雑な歴史を正確に理解し、語り合うことが大事。

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