今日の歴史:1933(昭和8)年2月24日「国際連盟の議場から脱退」

2024年

本日、新聞紙面に書かれていた「今日の歴史」は?

1933(昭和8)年2月24日にスイス・ジュネーブで開催された国際連盟総会で、満州事変に関するリットン調査団の報告書の内容を理由に、常任理事国だった日本の代表団が議場から退場した日、のようです。

リットン調査団報告書は、日本の主張を否認するもので、日本はこれに反対。中国の統治権を承認し、日本軍の撤退を求める決議案が採決されました。

日本代表団は、反対票を投じ、議場から脱退しました。

同年3月27日に、日本国政府は、連盟事務局に脱退の通告を行うともに、同日脱退の声明を発表しました。

この結果、日本は国際連盟の常任理事国としての地位を手放し、国際社会から孤立していき、日中戦争の勃発へのつながっていくのでした。

【リットン報告書の主な内容】

  • 満州事変は、日本の侵略行為であり、自衛行為とは認められない。
  • 中国の主権を認めながら、日本の権益も認める。
  • 日本と協力する自治的な政権が成立することには容認できる。
  • 中国の主権のもとに東三省(黒竜江・吉林・奉天の三省)に地方的自治政府を設ける。
  • 日本を主とする列強の国際管理下におく。
  • 日中間に新条約を締結する。

コメント

  1. 瀬下三留 より:

    国際連盟で席を蹴って退廷して、脱退した松岡洋右の行動がどうだったかは判断出来ないが、当時常任理事国だった日本がとった行動と、いまの国連の常任理事国であるロシアのウクライナ侵攻と似てやしないか?と思う。
    何が違うかと言えば、今の国連の常任理事国には拒否権という”伝家の宝刀”があり、いわば五大国の横暴が罷り通ってしまうという点。
    第二次世界大戦の戦勝国によるホームルームが続いていて、自分たちを規制する強制力がないという大いなる弱点を持ってしまったという事ではなかろうか。

  2. 春光 より:

    コメント、現況に対する視点を教えていただき、ありがとうございます。考えさせられます。国連に期待をしていましたが、そもそもが戦勝国のホームルームと揶揄されれば、確かにそうですね・・・・
    本当に、ウクライナにしても、パレスチナにしても、人が死んでいくことよりも国益の優先に考えてしまう・・・。この世を生きることはなんなのか・・・空しくなります。