「あの瞬間まで命はあったんだ」鹿児島修学館~修学祭~ 10月27日(日)

2024年

2024年10月27日(日) 鹿児島修学館中学校・高等学校(鹿児島市永吉2丁目9-1)の学園祭で、中学校3年生が戦争についての演劇発表がある、ということで見に出かけました。

中学3年生 テーマ「あの瞬間まで命はあったんだ」 

担当の先生のコメント(説明文に書かれてあった文から引用抽出してあります。)

 この群像的に根底に流れるものは、中学校3年生が1年生の時から向き合ってきた「戦争・平和」です。
彼ら彼女らが小学校6年生の2月に始まったウクライナ侵攻。もう4年近くになろうとしているのに、この世界はさらに悲しい現実を子供たちに突きつけています。

今回、中学3年生のみんなへ出した課題は、「戦争と平和について、今まで学んだことをもとに自分が考えたことを言葉にして観客のみなさんに伝える」ということでした。

 そして、六つの場面を指示し、選んだ場面の状況を詳しく調べて、その中で自分のセリフを考えていく・・・という流れを伝えました。

 私は中学校3年生全員(95名)が舞台に立ち、「平和への思い」と伝えられたら充分だと考えていました。しかし、生徒たちは「いや、劇は脚本を作り、その役を演じるべきでは・・・」と思い、自分たちで脚本を作りに動きだしたのでした。

 2学期が始まるとともに、「学年劇」がスタートしました。自分が出る場面を自分で選び、観客のみなさんに伝える言葉(セリフ)も自分で考えました。

「あなたのセリフは?」「お腹がすいた~~」です。「あなたはどれくらいの間食べていない役なの?」「それから、毎日何を食べているんだろう?」「30日食べていない。芋を食べている」「30日間、食べていなかったらどうなるの?」「ん・・・??????」など、生徒の想像をはるかに超えた状況を想像するのは難しいことでした。この劇をすることで、当時を振り返り、考えるきっかけにしてもらえたらと思い、練習を続けてきました。

 また、今回、「演劇」を経験する上で、「戦争・平和」について考えるという目的の他に、色々な方たちと触れ合い機会も作りたいと考えています。”自分発見”や”仲間づくり”に少しでも役立ってくれると有難いと願っています。

場面転換群像劇 6つの場面

場面1 女学生たちの生活

1945年当時
服装・道具・言葉
〇このころの学生たちは何をしていた?軍需工場・空襲・男性は戦争に・・・。女性・女子学生は何をしていた?

2024年現在
状況・考え方
〇ダンスをしている 終わって、楽しそうにおしゃべりしている 
〇放課後のおしゃべり

場面2 野球部の過去と現在

1945年
服装・道具・状況・言葉
〇甲子園大会はどうなっていた?
〇野球をやる環境はどうだったか・・・

2024年現在
〇少なくとも 夢は語れる 日本の野球がアメリカで通用する時代
〇ほかのスポーツでも考えられる。パリオリンピックを見ると・・・

場面3 あの当時 各地の動物園でおきていたこと

1学期の終わり 英語の教科書に上野動物園の像のお話が載っていました。
ある生徒が、文集に「こんな悲しいお話を朗読できません・・・」と綴っていたと聞きます。
戦争は 残酷で 悲惨で 悲しく 苦しい 誰にとっても 動物にとっても・・・・
鹿児島ではどうだったのか・・・・当時は 鴨池動物園?

場面4 特攻隊のこと

知覧から出撃される方々の思い 誰にも言えない胸のうちは・・・見送る人たち・・・
家族の思い(特攻の方たちは極秘任務として動いていたので、どこでいつ出撃するのかは極秘指令)
特攻に出撃する方たちの思いを、少しでも理解することができるか?

場面5 普通に暮らしていた人々

母親・妻・姉・妹・女性たちの思い 戦地へ赴いている 父・夫・兄・弟・叔父などへの思い 千人針とか 普段の生活 空襲警報 食べ物は 何の目的で日々生きていたのか 日常生活は

場面6 広島に集められた 中学一年生 

NHKドキュメントで原爆を投下された広島に、大勢の中学一年生が集められた。
中学2年生以上は軍需工場などで働いていたので、働き手が小学校を卒業したばかりの中学一年生しかいなかった。 
約8000人の中学生が建物疎開をしている中、頭上から原爆が投下され、この年の中学一年生が多数亡くなった、という。このことを知ったのが2年前、生徒たちが中学一年生の時でした。

感想  山下春美

 どうしてこのような劇をすることになったんだろう・・・と鑑賞しながら、考えていました。終了後、外の入り口に貼ってあった担当の先生の説明文を読み、理解しました。
 戦時中の様子を想像し、我が身に引き寄せて考えることは、決して簡単なことではなりませんし、そのようなことを真剣に考えてみようなどとすら思わないのが私の日常です。
 
 中学校3年生と言えば、15歳。この子たちのいのちが、なにものにも妨げられない未来を享受できるようにしてあげることが、大人、と定義されるものの役目ではないか思い、考えつつ、文化祭を後にしました。

 ※この演劇を開催するにあたり、生徒さん達は10月11日に、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館から「被爆体験を語り継ぐ永遠の会」からお二人を招きワークショップも実地されたそうです。

コメント

  1. せしたみつる より:

    今の中学生が79年前の中学生に思いを寄せて、立ち止まって考えることは、素晴らしいと思います。
    当時と今との違いや教えられている事の違いを知って、戦争がどんな事なのか身をもって知る事があったでしょう。
    ではとうやったら、こんな悲惨な極まりない戦争という事態を避けられるのか、今の日本は大丈夫なのか、戦争は仕掛けられることもあるという事も知って欲しいものです。