「鞍山(アンシャン)自分の知らない父の妻、ナツエさんに捧げる物語」を通して
亡き人を想う集い、を開催しました。
時間:10時~12時
場所:白い蔵(吉田葬祭 第2駐車場内)
参加者は、著者の瀬下三留さん、瀬下さんのお姉さん、訪問看護士の女性、山下の4人でした。
最初に、瀬下さんより、父親が母親と結婚する前に、すでに結婚していたことがあり、その奥さんが満州で亡くなっていたことをファミリヒストリーを調べる中で知った事、そして、そのことを知っている者(母、兄、姉)が家族に誰もいなかった事、そして、そのことについて父も一言も語ったことがない、などを含めた話から、この物語を書くに至った経緯を語っていただきました。
瀬下さんは、ナツエさんの戸籍から住所を辿り、現在の場所を見つけ訪問したそうですが、身内の方もその親族を知っている方にも辿りつけなかったそうです。
ナツエさんは、瀬下さんの父、深志さんの妻であったという事実は確かにあるのですが、戦後79年経った今となっては、ナツエさんが生きていた事実を語ってくれる人が誰もいません。
しかし、今回、瀬下さんが「父親の深志さんと共に満州で暮らしていた妻、ナツエさん」のことを物語として書いてくださったことで、ナツエさんが生きていたことを確かめ合うことが出来た気がしました。
瀬下さんと瀬下さんのお姉さんが、「何もしなければ、このままナツエさんの存在をなかったことにしてしまうのではないか。」という言葉に心を動かされました。
戦争があった不条理な時代に生まれ、その戦禍で亡くなっていかれた人々のことを忘れ去ってしまうほどの79年という年月が経とうとしてる今日、ナツエさんいう方を通して、異国で亡くなっていかれた方々がいたことを忘れずにいたいと思います。
ナツエさんは、78年前の今日、4月6日に旧満州、鞍山の自宅にて、29歳でお亡くなりになられました。
南無阿弥陀仏
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