今、伝えたい 『満蒙開拓の歴史』
~前事不忘 後事之師~
2022年の今年は「日中国交正常化50年」の節目になります。
1931年から泥沼の日中戦争が始まりました。中国東北部の幻の国「満州国」に日本から約27万人の農業移民が渡って行きました。いわゆる「満蒙開拓団」です。夢を抱いて渡った新天地でしたが、1945年8月9日、ソ連軍の侵攻で「満州」は戦場と化し、開拓団の人たちは広野を逃げ惑います。終戦後も国に帰ることができず、難民収容所では飢えと寒さで大勢亡くなりました。
日中双方に多くの犠牲を出した「満蒙開拓」とはいったい何だったのか。私たちはこの歴史を風化させることなく後世に伝えるため、その拠点の記念館から学ぶ中で、戦争に導かれていく道筋を学び、人々の体験に耳を傾け、平和な社会とは何かを皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
日時:2022年 7月 31日 (日) 10:00~12:00
会場:宝山ホール(県文化センター) 会議室 ☎099‐223‐4221
講師:寺沢 秀文さん 長野県満蒙開拓平和記念館 館長
参加費:500円
お問合わせ先 日中友好教職員の会 代表 鶴田恒郎 ☎080-5266‐4868
~前事不忘 後事之師~ (ぜんじふぼう こうじのし)
【前事を忘れざるは、後事の師なり】と言いまして、以前に起こったことや行なったことを忘れなければ、これからの参考になるし、手本にもなり得る。
『史記』秦始皇本紀の一文です。
「今日の四字熟語・故事成語」より引用
大史公曰くの書き出しで、司馬遷が賈誼(カギ)の『過秦論』を引用している部分が有りまして、その中に【前事之不忘,後事之師也】の文章で、でています。
講演会のための打ち合わせ会
2022年 4月24日(日)11時~12時半、上記講演会の打ち合わせをしました。
主催は、『鹿児島県日中友好教職員の会』のみなさんです。
「戦争を語り継ぐ集い」は、共催ということで、講演会の広報や参加の呼びかけ、当日の準備などのお手伝いをします。
当日会場では、旧満州国の切手展示をさせていただきます。
『鹿児島日中友好教職員の会』とは
『鹿児島県日中友好教職員の会」とは、教職員の方々で組織され、1987年から始まった中国との草の根民間交流の会です。
「日中友好の旅」という民間交流中国訪問を2015年までに15回、中国の友好協会を通じて訪日される方々のサポート・交流活動、「戦争や平和を考える集会・写真展」の開催など、精力的な活動をしておられます。今年で35年目を迎える貴会は、今年「日中国交正常化50年」ということで、講演会を開催されることとなりました。
満蒙開拓団とは
満蒙開拓移民とは、1931年(昭和6年)の満州事変以降、1945年(昭和20年)の太平洋戦争敗戦までの間に日本政府の国策によって、中国東北部などに入植していった人々のことです。
(詳しいことは、満蒙開拓移民 ウィキペディアで、見てください。)
満蒙開拓には、鹿児島からも3,432名が行っている、とチラシの資料に書いてあります。長野県などに比べると少ないですが、その方々が旧満州から鹿児島へ帰国後、どのように過ごされてきたのか知られざる歴史のような気がします。
左記は、2019年8月10日(土)鹿児島市中央公民館で、満蒙開拓平和記念館と満州国切手の展示をしたときの写真です。
最後に
「戦争を語り継ぐ集い」では、「集い」に参加される多くの満州引き揚げ者の話を聞いていく中で、長野県満蒙開拓平和記念館に行ってみようではないかと、という機運が高まり、2018年8月に有志6名で訪問しました。
その時は、館長さんからお話を伺う機会はありませんでしたが、今回は、訪問後に考えたこと、感じたことなど聞いてみたいと思っています。
講演会には、多くの方が来てくださるよう広報活動をしていく予定です。
みなさんも周りの方へお声かけお願いいたします!
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