今回が、「満洲」学習会3回目の最終回となりました。
「葛根廟事件」という悲惨な事件を生き延びた方の人生を通して、「生きる」とはどんなことなのかを考えさせられるお話でした。
疋田先生の講義と要約の当日の資料を紹介いたします。
「葛根廟事件」の生存者が残した証言を通して
疋田京子先生 (ジェンダー法・アジア法)
満洲国について、どう捉えるべきか?という私にとっての問題は、結論が簡単に出るようなものではなく、満洲から引揚げて、帰ってきて、生きておられる方や証言を残していて、私になんらかの繋がりのある方との対話を通して、私なりに満洲国をどう捉えるかっていうふうに考えていこうという感じで始めた取り組みです。
今回(3回目最終回)紹介するのは、葛根廟事件という事件で、これは満州の北の方の北満地域であった事件で、北満三大悲劇事件の一つと言われています。
※北満三大悲劇事件とは、「葛根廟事件」「麻山事件」「佐渡開拓団跡事件」
今日の話の主人公は、当時12歳だった少女が生き残って、その後中国に残留して、1981年に日本に帰ってきた、という話です。
1回目、2回目で話をした少女たちは、当時、10才から15才位の年齢で家族に守られ、家族全員引き揚げてくることができた。そのため、親が生存していたので、非常に大変だったであろう、引き上げ時の苦労よりも、戦後の貧しさの苦労のほうが中心となっていました。そして、親が満州に行って、満洲で生まれた少女たちでした。
自分が、生まれ育った満洲という国が自分の国なのだ、という当たり前の場所があの中国、満洲であり、親は引き揚げ者かもしれないけれども、自分たちにとっては本当にどこか異国に行くような感じで日本へ引き上げてきた感覚があった。
そういう意味で引き揚げ2世というふうに私は命名したのですが、今日紹介する3人目の坂井幸子さんという方は、7歳で渡満しています。日本の生活というものをある程度知り、物心がついていて、満洲へ行き、そして、中国に残留してしまったという方です。そういう意味では、1,2回目で紹介した方とは違う経験の方です。
私が坂井さんを知ったのは、県立短大の教員の時のゼミ生のお婆ちゃんが中国残留孤児だったという縁です。
昨年、その生徒と再会し、いろいろ話をしているうちに、私が「お母さんに会って、話を聞きたい」ということで、話をすることができたことから始まります。
生徒のお母さんは、残留孤児だった坂井幸子さんの娘さんになる方で、幸子さん自身は、すでに亡くなっており、その娘さんから話を聞く、ということになったわけです。
生徒の母親は、母親の幸子さんから満州での生活を伝え、聞いたような内容で断片的な話ではあったんですが、話を聞いていたら、今日話しをする葛根廟事件という大虐殺事件を生き残った人であることを知ったのでした。
私自身、葛根廟事件については、以前ドキュメンタリー映画の予告を見たことがあり、当時、1,300人ぐらいの日本人が避難している途中に、ソ連軍の戦車で一斉に攻撃をされて、千人近くの人たちが殺され、そこで生き残っている人っていうのは、200人いるか、生存者数も定かでないと。
そういうのを見ていたので、そういう事件があったということは頭の隅に残っていました。そこで、葛根廟事件に関する本を取り寄せて読んでいたところ、その本の中に、坂井さんという、生徒のおばあちゃんの名前が出てきてびっくりしたのでした。
1933年に徳之島で生まれて、お父さんが1938年頃満州に行き、1940年に家族も移り住み、興安に行かれたようです。太平洋戦争が始まる前に渡満し、その後終戦を迎えたということになります。(以下、坂井幸子さん資料1より)
新聞記事資料の下に家族構成を書いています。坂井さんは、7人兄弟の3女で12歳の時に葛根廟事件に遭遇。3女の幸子さんと4女の敦子さん、2人だけが生き残りました。
資料の最後に満州開拓入植図という地図があります。この鉄道の沿線に満州開拓村があります。
ソ連との国境付近に日本人を固めることにより、国境防衛するという形で、終戦直前ぐらいまで入植者を募り、入れたという場所です。
対ソ戦で言えば、モンゴルとソ連の国境付近では、はっきりと線がひかれてあるわけではないので、いつも国境をめぐってお互いがここは国境だと思っているところで紛争があった地域だったのです。そこにソ連軍が駐屯しているってことは分かっていましたし、興安という街が襲撃されることは予想されていたことでした。
この事件が、本当に詳しく日本で報道されるようになったきっかけになったのが、資料2の大櫛さんという方が膨大な資料を集められており、それを読売新聞の記者に持ち込んで、ぜひこれをみんなに知ってほしいということが、きっかけとなりました。
その膨大な資料を基に、赤星月人さんという画家が描かれた絵が資料②です。
こういう状況の中に坂井幸子さんはいた、ということになります。
(講義の内容は、当日配布資料をまとめの下に添付しますので、参照ください。)
まとめ 感想 山下春美
「葛根廟事件」を経験した一人の女性を通して、満州における日本の歴史と戦争の影響について知る事できました。
満洲での日本の活動、ソ連軍の侵攻、そして日本人居住者が経験した悲劇、朝鮮人からの情報伝達の問題、ソ連軍が侵攻する際、現地の朝鮮人が日本人に警告したにもかかわらず、日本側が疑心暗鬼になり信じなかったという状況。
日本の防衛対策の誤算として、日本軍が早々に撤退したことと、守ってくれるはずだった満州国軍が反乱を起こしたこと。また、当時、ソ連軍が圧倒的に優勢であることを認識していた日本側は、ゲリラ戦の形で対抗する計画を立ており、女性たちは避難所に集め、包囲された場合は「始末」してゲリラ戦を続行するという悲劇的な計画があったことを知りました。
過去、日本が行ったことを、きちんと受け止めて、これからの時代に繰り返すことがないようにしなければと強く思います。
当日のレジュメ4枚と資料








コメント