今日の歴史:1936年(昭和11年)「2.26事件」

2024年

 2.26事件から89年経ってしまった今日、私の知る限りでは、89年前の事件を報じているメディアを目にしませんでした。

 私は高校時代に見た「2・26事件」の映画がずっと心に宿り続け、あの青年将校たちのことが忘れられません。彼らほど私は優秀ではありませんが血の気の多い私は、もし、あの時代に生れていたら、彼らの一人になっていたかもしれない・・・・と思うのです。

 中島岳志さんの著作「血盟団事件」や「朝日平吾の鬱屈」「中村屋のボース:インド独立運動と近代日本のアジア主義」などを読むと、何故、青年たちがそのような行動に至ったのかを知り、澤地久枝さんの「妻たちの2・26事件」を読むと、どこにでもいる普通の夫や兄であった男性が、日本の有り様を憂いていたのであろう、様子がわかるのです。

 あのような武力行使で世の中を変えようとしたことは、許されることではありませんが、何故か、彼らを責める気になれないのです。彼らが起こした行動は、当時の国民の中に潜む、悪魔的小さな欲望を行動として表わしたものかもしれないと。彼らをあのような行動に起こさしめてしまった責任は、私にもあるのではないかと、2.26事件を思う度に、そう思う私がいます。

コメント

  1. せしたみつる より:

    「あのような武力行使で世の中を変えようとしたことは、許されることではありませんが、何故か、彼らを責める気になれないのです。」
    まったく同感です。
    東北地方では凶作で娘の身売りまであって、国民が疲弊していた社会に正義の怒りを持った青年将校たちが立ち上がった軍事クーデターは、現在では国民が消費生活に苦しむことにも構わず、減税しない財務省に怒りが湧き立ち左右のイデオロギーにかかわらず「財務省解体デモ」の全国的に開催されている状況と同じように感じます。それはまるで「令和の2・26事件」となって拡大しています。

  2. 春光 より:

    コメント、ありがとうございます。この世を真剣に思う行動が時として、人間の善悪を超えたものになってしまうことがあることを知らされます。