報告:「戦争のあった頃のことを知ろう」8月4日(日)戦争体験を聞く会 垂水市民会館

2024年

 8月4日(日)、垂水市民会館で「小手川清隆さん(鹿屋市戦跡ガイド)による「昭和20年8月5日垂水空襲と垂水海軍航空隊」の研究報告および、赤崎雅仁さん(霧島市在住)による「満州からの引揚げ」の体験を聞く会がありました。
その報告を、主催団体の「垂水史談会 事務局長瀬角龍平さん」から頂きましたので、皆様にも報告させていただきます。

「戦争のあった頃のことを知ろう」企画展  報告  

「戦争のあったころのことを知ろう」展(市立図書館で8月1日~同月31日)の企画の一つとして、8月4日(日)午後1時半から垂水市民館で小手川清隆氏(鹿屋市戦跡ガイド)による「昭和20年8月5日垂水空襲と垂水海軍航空隊」の研究報告および、赤崎雅仁氏(霧島市在住)による「満州からの引揚げ」の体験を聞く会を開催しました。
垂水市内外から20数名の参加がありました。以下はアンケートの感想の中から。

「戦後79年になって、戦争のことで初めて知ることが多いです。いま、沖縄だけではなく鹿児島が軍事基地化されようとし、既にいろんな施設ができてきています。それも国民に問うことなく国会での議論もほとんどなく進められているのに恐さも感じます。戦中戦後の歴史を学ぶことでまた意識を高め、2度と戦争は繰り返してはならない、、、。改めてそう思いました。ありがとうございます。(鹿屋市51~80歳)」

「戦争について考える、学ぶ機会をなくさないようにしたいです。(垂水市51~80歳)」

「満州から帰るのはとても大変であったことがわかりました。考えてみると悲しいです。大切な話をありがとうございました。(垂水市11~20歳)」

「とても良い話でした。チャンスがあればまた参加したい。(垂水市81歳以上)」

「父、硫黄島にて戦死、鹿児島市にて空襲を受け、伊敷方面に逃げましたが、幸い無事であったことを感謝しています。(垂水市81歳以上)」

「実体験をきける機会は中々ないのでとても貴重でした。(垂水市11~20歳)」

「垂水空襲の経緯がよくわかりました。浜平の特殊地下壕保存の大切さも理解しました。赤崎氏の実体験を淡々と話してくださいました。悲しむ余裕もない状況だったことでしょう。どうか、一日でも長く命をつないでいただき、貴重なお話を若い世代に聞かせていただきたいと思います。ありがとうございました。(垂水51~80歳)」

「満州の貴重な体験を聞けてとても有意義でした。(垂水市21~50歳)」

「最初の話は分かりやすかったです。ぼくは小学校5年生ですけど、妹をせおって100㎞歩いたり、弟と二人で日本に帰ってきてとおくにすんでいるおじさんの家に行くことは不可のうです。(垂水市~10歳)」

「貴重な体験談をお聞かせいただきありがとうございました。体験者でなければ語れない事で、話して下さる意味は非常に大きいです。複雑な心境のお立場でも申し訳なく思いますが、どうかこの活動を続けてほしいです。ありがとうございました。(錦江町51~80歳)」

「引き続き取り組んで下さい。(垂水市51~80歳)」

「貴重なお話ありがとうございました。S18年生れ主人が引揚げ、幼少期両親は早くに亡くなり、引揚げの様子を聴きに来ました。叔父が4人入隊で2人戦死。私はS21年生、海軍上がりの純毛の2つ折りの毛布、軍服、やかんなど目にしたり使ったりしていたことはありますが、今の世があちこちで戦闘があり心が痛みます。(霧島市51~80歳)」

「本日は昭和11年生まれの母と参加しました。母も小学3年生の時に父(硫黄島で戦死)を亡くし、今も時折、当時のことを話してくれます。赤崎さんのお話を伺い、戦争の悲惨さを再認識し、二度と戦争のない平和な世の中が続くことを祈念します。(垂水市51~80歳)」

「戦後80年になるというのに今も同じような戦争がウクライナ、ロシアで行われ、赤崎さんのような子供、老人が被害を受けているのはなぜなのでしょう。人間のエゴで領地争い、何百年たっても変わらない独裁者のやめるという決断が出来ないおろか者!!赤崎さん、お父さん、お母さん、妹さん達の分まで元気でいて下さいね。(垂水市51~80歳)」

「初めて聞く話、初めて見る資料ばかりで大変興味深かったです。ありがとうございました。(垂水市21~50歳)」

以上、アンケートに答えていただいたものをすべて紹介しました。

今これらのアンケートを見ながら、「やってよかった」という思いです。
小手川さん、そして特に赤崎さんには感謝の気持ちでいっぱいです。

現在の日本や世界を見渡すと、平和の足元が日ごとに崩れて行く気がして恐ろしくなりますが、歴史研究の末席にあるものとして、少なくとも「初めて知った」という人がいる限り、このような活動は続けていこうと考えています。

コメント

  1. せしたみつる より:

    硫黄島の戦いの遺族だったという方が少なくともお二人アンケートに回答していただいたようですね。
    硫黄島の戦いは壮絶だったというのは、聞いてはいましたが、先日NHKの祖父が米国従軍カメラマンだったという孫娘が祖父の足跡を追う番組で、その惨たらしい写真を観て、それは筆舌に尽くしがたいものでした。
    写真はその後、GHQ日本進駐を撮って行くのですが、日本の女性の悲惨さも写しています。
    戦争のいい、悪いは悪いに決まってますが、なぜそこまで悲惨な戦いになるまでやらなければならなくなるのか?
    答えの出る問いではないけど、戦わなくていいために準備していかないといけませんね。

  2. 春光 より:

    コメント、有難うございます。私も、硫黄島の方がいらしたことが心に残りました。
    戦争の悲惨さというのは、人間を人間でなくしてしまう恐怖があると思います。
    本当に怖いです。

    毎年、垂水史談会ではこの企画展を開催され、戦争があったことを忘れてはならない、という自分への喚起と受け止めています。