2014年7月1日の南日本新聞に垂水市、浜平地区の高尾崖周辺に残る旧垂水海軍航空隊の特殊地下壕(浜平地下壕)についての記事が掲載され、同市が調査結果をホームページで公開したとのことでした。
私は昨年、11月30日に地元の方々と一緒にこの地下壕の中に入らせていただいたのですが、その天井の高さと地下壕の広さにびっくり仰天しました!
これまで見つかったひとかたまりの特殊地下壕としては九州最大規模、と新聞に書かれてありました。
以下、新聞記事より引用
『 魚雷の整備が主な役割であったと考えられる。工事が進めやすいシラス台地に掘られ、長さ約100メートルの縦坑11本とそれらを直角につなぐ横坑が整然と配置されているのが特徴となっている。
(中略)
工事がディーゼル発電機用の燃料の貯蔵庫と見られる遺構や、電気の流れを調整する「がいし」といった遺物が見つかった。坑道内の一部では魚雷を支えるための構造物の跡とみられるくぼみや、コンクリートが敷かれた床面が発見されており、魚雷整備に使われたスペースと考えられるという。』
地下壕内を見学しながら、大戦中にこの地下壕でどのようなことが行われていたか、現代を生きる私たちが知ることのできる戦争遺跡として一般公開できないかと話しが盛り上がりました。
たぶん、そのように願っていた多くの方がおられたと思います。大隅史談会の会長であり、垂水市審議会会長の瀬角龍平さんも苦渋の決断として、以下のように語られたのでないかと思うのです。
「文化財の保存と住民の安全安心の確保のためにはやむを得ない。ほかにも開口部を確認されており、将来的に内部に入って調査研究をすることは可能とのことからこの結論に至った。」
南日本新聞記事より
今後同市は、調査で得られた内部の3Dデータ公開などを検討しているそうです。
今となっては入ることが不可能となった地下壕を、画面を通して見ることで、80年前にそこで働いていた兵隊さん達のことを想像してみませんか?
この暗くて、ジメジメした地下壕の中で、「国のためにと・・・」動いていた男性達の心情を思うと、一体「国を守る、愛する人を守る」とは何なのか、と考えてしまいます。 筆責:山下春美
コメント
こういった戦争遺構を見て、さまざまな思いが湧いてくるでしょう。それは人によって違うものもあるかと思います。
当時の若者の兵隊さんらが、祖国や愛する者たちを思いながらこの暗いジメジメした壕の中で、勝利を夢見て任務に就ていたという事実があるのです。
私はその兵隊さんらに感謝の念の思いで拝見しました。
コメント、有難うございます。確かに、人によって物事の捉え方は違うと思います。私の場合は、その当事者だったら、と考えてしまっています。その地下壕にいた一人の人間として、どう考えていたか・・・・。建前は、日本の勝利を夢見ながら、任務に就いていたとしても、私の本心は、早く家に帰りたい、という思いだと思います。
だからこそ、私の平穏な日常から引き離した生活を強いたこの地下壕を恨み、決して戦争がこの世からなくならないとしても、その怒りを源として、この世に存在するいのちが、為政者同士の思惑により、虫けらのように扱われることを拒否し続けて行きたいと思っています。・・・と思うのですが、実際は隣にいる人を盾にして、逃げてしまうかもしれませんね。情けないことです・・・・。