第8章
戦争は終わらず・・・
我々の監督は蒙古軍の下っ端軍人で、その上の監督が正規の将校だったようだが、業間作業といってラーゲリ所長の命令で労働時間外に、炊事用の薪取りやストーブ等の薪集め、その他所長個人の使役等に駆り出されることもあった。
ここでの作業の機具は二人用の鋸で押す、引く、をとめどなく繰り返し、大木を斧なども使って切り出していた。
このように労働は命懸けであるが、もう一つ、命懸けのものが”食べる事”だった。
炊事は炊事小屋で行われていたが、分配用の庭には、百人単位の班ごとに盛り分けられた粥の樽と、黒パンが二十本置かれていてそれぞれが分配される。
分配が終わって炊事当番が帰ったら、樽の清掃をするのだがその清掃は大変な”特権”だった。
旧軍年次の古い下士官がその特権を独占していた。
分配を終えた後の、丸い杓子では完全にはすくい取って分配されていないまだ温かい樽の底の粥を、指でほじくりさらって、粘りついた粥の残りをなめることが、彼らの清掃という名の”特権”だった。
次に、パンや半ば凍りかけた粥を当番が舎内に運び込むと、まさしく真剣な分配が始まる。
(イラスト・
戦争を語り継ぐ集い・かごしまシベリア抑留絵画展より)
低い天井の梁から針金で作った即席の天秤軽量器が吊るされて、一杯の粥が二つの飯盒に分けられ、その一つがさらに二つの飯盒に分けられて四人分になる。
量目がぴったり合うまで見つめる人々のまなざしは真剣で不気味だった。
黒パンは、物差しを当てて五分の一に切り、それでも生じる小差は天秤にかけて修正して分配するのである。
このパンは昼食分であるが、作業に携行して行くようになっている。
しかし、ただでさえ少量の食糧がゆえに、朝の粥と一緒に食べていっときの満足感に浸りたいと、みんな同時に食べていた。
昼までとっておこうと心の余裕なんてなかったし、また誰も食べていない時に一人だけ出して食べるのは反感を買い、生命の危険さえ危ぶまれた。
一番人気のある食べ方は、黒パンを小さな「さいのめ」に切り、寝ながら匙を持ち飯盒の中の粥を少しすくって口に含み、二口に一口は黒パンの小片を口の中の粥に混ぜて飲み込み、胃の中で水分で膨らませるというやり方だった。
ラーゲリから作業場までは2キロほどの道のりだったが、我々は寒さと痛さで身が縮み、背をこごめ、手袋の上から手を擦りながら歩いていくのだった。
日々の移動でこんなこともあった。
住民が昨夜の食べ残しを放り投げたのだろう、この国に来てから見たこともない白い粉で出来たうどんとその汁と少しの具もあったがそれは凍っていた。
みんな駆け寄って氷からはがして口に入れたかったが、班長の一人が「我々は日本人だ、卑しい真似はするな!」と靴で踏みにじられた。
瞬間、我々はガッカリしたが一方ホッとした。
あとで誰かに掘り起こされて食べられるより、誰にも食べられないように処分してもらった方が未練は残らなかった。
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