女性たちの記録集「それぞれの100年」から No.5『終戦後、奄美に帰れなかったAさん』

2024年

終戦後、奄美に帰れなかったAさん    N・S

 私はK市内で、60歳の定年までケアマネジャーとして働き、多くの利用者様、ご家族から貴重な体験を聞かせていただきました。

 なかでも一番印象深いのは、担当していた女性の夫(Aさん)です。Aさんは、私の言葉から鹿児島出身とわかったそうで話をしてくださいました。

 Aさん「わたしは奄美出身。大島中学を卒業。赤紙がきて、K県の第6師団に入隊した。その後は福岡の部隊などでも兵役についた。終戦後、奄美に帰ろうとしたが、奄美は米軍統治下であったため、どうしても帰ることができなかった。仕方なく熊本の米農家で働いた。そのうちその農家の婿養子になり、とうとう帰れなくなってしまった。コメを作って、娘1人、息子1人を育て、結婚もさせた。今は田んぼをしながら、嫁の介護をしている。」

 実際、大きなトラクターを動かして、働いている姿をよく見かけました。戦後の、まだ機械化されていない時代に同じ田んぼを耕作していたのかと思うと頭が下がります。

 地元の方からの情報:Aさんが婿入りした地域は、農地が広く機械化以前は、戦後もしばらくは田植えや稲刈り時などには他地域から手伝いの人が住み込んで来ていたとのこと。

 大島高校野球部が甲子園初出場の時は、「大高の甲子園出場が決まってうれしいねー。」と嬉しそうに話されたのを覚えています。妻を看取った後は、田んぼをすべて息子に任せて、自分の畑を老人ホームや保育所に提供して一緒に花を植えるなどの活動をしておられました。

 現在もAさんが穏やかに暮らしておられることを祈念しています。

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