「鞍山(アンシャン)」~私の知らない父の妻、ナツエさんに捧げる物語~ ⑨

2024年

紅運《コウウン》と梅花《メイファ》

 ある日、南一條の通りで野菜をリヤカーで引き売りする中国人の老婆が、「コドモ、ドロボー、ドロボー」としきりに叫んでいるのです。

何事だろうと思い見てみると、そこにはさも貧しい7〜8才くらいの男の子と3〜4才くらいの女の子の兄妹と思われる満州人の子供がいたのです。

老婆は、男の子の手首をしっかりつかんで離さない、男の子の手首の先にはリンゴがしっかり握りしめられていました。

こっぴどく叱られているその男の子は、ぐっと唇をかみしめこらえていました。
その男の子の腰に、両手を巻き付け、すがるように泣きじゃくる女の子は恐れおののいたように震えていました。

 あまりの状況にたまらず私は、その老婆からリンゴを買い取り、他にニンジン、ジャガイモ、タマネギを買い上げ、男の子を掴んでいる老婆に手を放すように言って、野菜とリンゴを男の子に持たせました。

「二度とこんなことをするんじゃないよ」と日本語で伝えました。

二人の兄妹はそれらの野菜を受け取ると走って去っていきました。
満州ではリンゴはとても安いものなのです。その安いリンゴさえ食べられないのかと思ったら、その兄妹の境遇が不憫でならなかったのです。

走り去る際に、うしろにいる私に「・・・」。
何かわからない言葉を男の子が叫びました。「シェーシェー(謝謝)」だったのかもしれません。わかりませんでした。

中国語のわからない私には「こうしないと生きていけないじゃないか・・・」と言ったようにも思えたのです。

 夏のある日、三笠街の住人だろうか、鞍山駅方面から三笠街に向かって人力車に乗っている花嫁行列を見ました。後をリヤカーが、タンスや様々な嫁入り道具を乗せて追いかけて行きます。花嫁さんは、村の青年たちに冷やかされ、ずっと下を向いていました。

私もつい数年前には、このように絢爛豪華ではなかったけど、花嫁になっていたんだなぁと思い、送り出してくれた父や母を懐かしく思ったのです。

 こんなに遠くへ行ってしまった娘を父、母はどんな思いでいるのでしょうか?

 それから季節が秋に向かう頃、南一條で以前の2人の兄妹を見かけたのです。満州の日本人街で貧しい満州人がいると、どうしても倒されたり、また子供の場合、日本人の子供にいじめられたりするので、私はふたりを家に招き入れて残っていたご飯に粟を混ぜてお粥にしてふたりに食べさせ、「もう鉄東にくるんじゃないよ。」と漢字を使って筆談しようとしたのですが、学校に行っていない彼らは文字がわからなかったのです。

 二人の名前を知ろうと、いろいろ聞くうちに男の子が「コウウン」、女の子が「メイファ」とわかりました。そこで私は、当て字ですが「紅運《コウウン》、梅花《メイファ》」と名付けました。

 満州国という国は独立国とはいえ、そこでは日本人である私たちの力が主《あるじ》のような振る舞いが許されている国で、日本人から見て、満州、朝鮮人を下に見ていました。
そういう日本人街に満州人が来るのを嫌う日本人が少なからずいたのです。

そこで、私は彼らに鉄東は満州人にはあまり良くない場所だから、来ないほうがいいと言ったのです。あまり意味のわからないメイファはコウウンの顔と私の顔を交互に見ているだけでした。

 でもコウウンにはその意味がわかったようでした。

コウウンはコクリとうなずき「シェーシェー(謝謝)」と言って、ほんとに子供らしい屈託のない笑顔で私のアパートをあとにしました。

 

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