「昭和20年6月17日 鹿児島大空襲体験」を聞きに行く。 2月28日

2024年

今日は、いちき串木野市にお住いの石上斉也いしがみ まさなりさん(90歳)のお宅に、生協コープかごしま「6.17平和のつどい」実行委員の方2名と、昭和20年6月17日の空襲体験を聞きに行ってきました。

石上斉也さんは、昭和8(1933)年3月16日生まれで、現在90歳です。
石上さんは、昭和20年6月17日は、父親の仕事の関係で、鹿児島市加治屋町敬愛幼稚園近くに住んでおられたそうです。

ちょうど、その年の4月、旧制中学に入学(12歳)したばかりの梅雨時の6月に、空襲に遭われました。
夜中の空襲で、起こされた石上少年は、逃げる前にどうしてもトイレに行きたくなり、用をたしていると、
ひざががくがく、歯もがくがく震え、本当に恐ろしい時は、このように体中ががくがく震えた、と語られる表情からその恐怖が伝わってきました。

着の身着のまま家族7人みんなで、近くの甲突川べりに逃げ、なんとか難を逃れた一家は、一晩、隣家にお世話になり、父親の実家のいちき串木野に戻ったそうです。それ以来石上さんは、鹿児島市内に戻ることはなく、旧制中学校には、いちき串木野から通う日々となったとのこと。

石上さん自身は、空襲後に亡くなった人を見たのは、ひとりだけで、それ以外は亡くなった人は見ていない、と話されました。

現在、石上さんは、毎月9日に鹿児島中央駅で夕方5時半から6時半までの1時間、戦争反対のチラシを配りながら、若者たちに話しかけているそうです。チラシを配るだけではなく、一人一人に話し掛けると、反応があり、関心を持ってくれる高校生もいるとのこと。語りかけることの重要性も教えいただきました。



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