2023年10月16日(月)~18日(水)の2泊3日で、京都府舞鶴市の舞鶴平和祈念館と大阪府吹田市の吹田市平和祈念資料館を訪問してきました。
舞鶴引揚記念館
舞鶴港は、昭和28(1953)年3月に中国から日本へ帰ってきた時に、降り立った港です。それ以降、舞鶴には2回行ったことがあり、今回は17年ぶり、3回目の訪問でした。
2019年に姶良市のイオンタウン姶良で、舞鶴引揚記念館「全国巡回展in鹿児島」というのがありました。その時に知り合った記念館のスタッフの方を訪ねて行きましたが、残念ながらお会いすることが出来ませんでした。
舞鶴引揚記念館は、「引揚」と名称されていても、主にシベリヤ抑留に関する資料が多く展示されています。
私が行った日は、観光バスも多く停まっており、多くの観覧者でした。
宿泊先は京都市内でした。舞鶴―京都間はバスで約2時間半かかり、便数も多くなかったため、記念館には1時間半程度の滞在で、お昼過ぎのバスで京都へ戻りました。
今回は、私が日本へ帰って来た時の新聞記事など数点を寄贈してきました。
数回訪れるたびに、記念館の展示もリニューアルされているように感じました。
舞鶴引揚記念館公式HP
赤崎さん、2006年2回目の訪問の時(17年前)
吹田市立平和祈念資料館
18日(水)は、大阪府吹田市の吹田市平和祈念資料館を訪問しました。
資料館については、詳細は下記公式HPをご覧ください。
https://www.city.suita.osaka.jp/kurashi/1018573/1018579/1018583/
吹田市立平和祈念資料館は、ネットでいろいろ調べていた際、今回の旅行行程で行きやすい場所にあったので行ってみました。
この施設は、「平和祈念資料館」と名を冠しているだけに、図書コーナーの書籍と資料の充実さが際立っていました。所蔵数は、4000冊を超えるそうです。
規模は大きくありませんでしたが、展示物をゆっくり見て回るには適度な広さでした。
これからも、全国各地の平和祈念館を巡ってみたいと思っています。
この本は、吹田市の資料館で見つけ、ネットで購入しました。
読んでいて思い出したことがありました。
戦後、残留している日本人の子供を集めた寺子屋のようなものがつくられていました。
そこに、八路軍工場に延安から来たという八路軍の捕虜になった日本人たちが先生として、教えていました。だんだんと引き揚げが始まり、日本人の子供も少なくなったので、その寺子屋のようなものはなくなりました。
編集後記
『日本各地の平和資料館を巡ってみたい』との思いを実践され、精力的に日本各地を訪ね歩かれる赤崎さん。
平和資料館の存在は施設規模の大小にかかわらず、戦争を知らない時代を生きる者たちへ、先人たちが抱えた耐え難い悲しみに出会える場所だと感じています。
悲しみこそが、生きること、死ぬことを真剣に、人間に考えさせてくるものなのではないかと思っています。
追記
吹田市で思い出したことがあり、本棚を見たら、以下の冊子がありました。
読んでみたい方は、ご連絡ください。貸出いたします。
ご報告
赤崎雅仁さんより、30,000円のご寄付を頂きました。当ブログのサーバー代に充てさせて頂きたいと思います。有難うございました。 世話人 山下春美
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