2023年8月31日(木)滋賀県平和祈念館に行ってきました。
特別企画展「滋賀県民が見た中国の戦場」が開催されており、戦後78年が経過する中で、日清、日露戦争から、日中、大東亜戦争における滋賀県内に由来する史跡や遺族の資料、並行して満州に関する歴史資料や年表も展示してあり、じっくり見入ってしまいました。
玄関ホールに入ると、壁面にアジア・太平洋戦争の滋賀県での空襲の数が、各自治体ごとに表示してあり、正面には、戦争体験者の語る映像が流れていました。
私も一人の男性の語る映像を見たのですが、その男性は当時10歳位で、爆弾が落ちた時にさく裂した破片で怪我をした太ももの傷をズボンを上げて見せてくれていました。その傷から、その時、いかにひどい傷だったか想像できるほど、今もしっかり残っている傷跡でした。
この祈念館は、滋賀県と名がついているように、滋賀県民の人が何名空襲でなくなったか?大阪からの疎開児童がどの学校にどのくらい疎開していたか?
中国、南方戦線に何人、召集され、何人亡くなったか?ということを、数字だけではなく、人の形をかたどった図で表示してあったり、亡くなられた場所を地図で示してあったり、と、滋賀県民の戦争被害者、被害状況、国内のみならず外地での状況が一目でわかるように展示してありました。
体験者の話や軍事郵便、戦争遺物なども数多く展示され、見ごたえのある資料ばかりでした。
大変、多くの展示物がありましたが、数点写真を撮ってきたので、紹介します。
特別企画展の展示物からです。
軍事郵便です。
お国のために、女でも役に立ちたい、と看護師になり、戦地に赴いた女性です。終戦後8年間、八路軍と共にいながら、負傷兵の手当をされていたことが書かれていました。(左)
南京攻略戦の参加部隊ですが、滋賀県の部隊がどのような位置に属していたのかを黄色く囲んで表示してありました。 鹿児島の歩兵45連隊のところを、青色で下線引いています。
滋賀県から皇軍慰問団として4人の女性が行かれたそうです。行かれた中国の慰問先で、現地を案内してくださった男性(兵士)と後に結婚された女性がお一人いらしたようで、当時の様子を書いた手記も展示してあります。
鹿児島の歴史を振り返るとき、鹿児島に生まれ、暮らしていた人々が、戦争という時代の出来事にどのように巻き込まれていったのか、どのように暮らしていたのか、知ることのできる拠り所があればいいなぁと思いました。
滋賀県平和祈念館の特別企画展は、12月17日まで、入館無料です。京都、大阪からも電車で1時間から1時間半で行ける場所です。多くの方に行っていただきたい祈念館です。
滋賀県平和祈念館
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