昭和20年(1945)の鹿児島駅空襲から、今年は、78年目です。
「鹿児島駅空襲を忘れない」という個人的な営みで、今年も鹿児島駅構内にある慰霊碑にお参りに出かけました。
鹿児島市民福祉プラザから歩いて、鹿児島駅に向かう途中、上空から飛行機音が聞こえてくるので、立ち止まり、上を見上げると、プロペラ機。
”飛行機から落下物が落ちてくる・・・・、そんなことがおこって、初めて沖縄の人の気持ちがわかるんだろうなぁ”、と考えてしまいました。(沖縄では米軍の飛行機からの落下物が日常的だそうです。沖縄の知人談)
今朝方、家を出る前、鹿児島駅空襲に関心を持つ男性から電話があり、その彼が改札口前で待っていました。
その彼は、今年の4月に鹿児島の企業に就職したばかりの平成生まれ、23歳!出身は、兵庫県西宮とのこと。
鹿児島の空襲について、詳しく知らない若者でしたが、戦争の歴史が風化していくことを危惧し、私の話に一生懸命、耳を傾けてくれました。
戦争の歴史は風化していくかもしれませんが、戦争から引き起こされる悲しみの事実は現代の私たちにも容易に想像できるものと思っています。
それは、今、私の目の前にいる23歳の若者が、80年以上前の日本では、”お国のため”という大義名分で、召集され、死ぬことを誉れと思い込まされ、生きていくことを諦めさせられしまったという事実です。
今日、出逢った23歳の若者が、戦いの前線に連れ去られてしまうなど、私は黙って納得できるはずなどありません。
大切な人、愛する人 当たり前だと思って一緒に暮らしてきた人々を、戦争という国家権力によって亡くしてしまう悲しさこそが、戦争の抑止力になると私は考えるのです。
今年は、1人でのお参りと思っていましたが、若者の登場で戦争記憶の継承という今生での私の役目を少し、勤めさせてもらえたようでした。
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