「特攻隊員と犬のクロ」⑤

2023年

 男の子が帰ってきた。
2人に残り少なくなった乾パンを食べさせていると黒い子犬(小型犬)が10mくらいの場所からおそるおそるこちらをうかがうように見ている。

「この犬は、うちの食事のときはいつも来て、まわりをうろつくの・・・。おなかがすいている様子だけど食べさせるものはうちにはなにもないのよ・・」と兄妹は声をそろえて言う。さらに聞き捨て出来ない話が続く。

「男の人が2,3人でいつもこの犬をつかまえようとしているの・・・」

「つかまえてどうするの?」と尋ねると、2人は口をそろえて「食べるつもりじゃないの。」と答えた。

戦時中は、食糧難の時代であった。配給制度はあったが、配給量が少なくそれも滞りがちであり、肉類は皆無に等しかった。日本では、犬肉を食べる習慣はないが、中国、韓国はその習慣はいまだにあり、特に中国では、「狗肉店くにくてん」と看板をかかげている店は多く見かけることができる。

 戦時中は、肉類の不足から犬は云うに及ばず、猫や蛇まで食べたという人は多い、蛇は皮をはぐと白い肉であり、これをこまかく切り、塩をふり掛け、天日に充分に乾燥させ、火にあぶって食べるとお菓子を食べているようで、とても美味しかった、と体験を語る人も多い。

入隊前、私の家でも、今、目前でふるえているそっくりの黒い小型犬を飼っていたので、(名前はクロ)「クロ、クロ」と呼びながら、乾パンを投げてやった。

 しかし、警戒心が強く、なかなか寄って来ない。今度は、2,3粒なるべく遠く、そのクロの近くに投げてやった。今度は来た。上目づかいでこちらを警戒しつつ、餌に近づき、くわえると同時にサッと逃げ、また近づいてくる。

こんなことを何回か繰り返すうちに、だんだんと近寄ってきた。その犬は手縫いの布の首輪をし、その首輪に別の布縫いの(つな)(リード)が固く縫い付けられていた。

当時は、革製品は絶無であり、動物の皮はすべて軍需品に使われ、民間用は絶無だったのである。

痛々しかったのは、その首輪に垂れさがっている10㎝位の引き網であった。

音をたてて燃えさかる炎と熱風の中、必死になって、この網から逃れようとしている小犬の姿が彷彿ほうふつと見えてきたし、しかも飼い主とはぐれてしまい、今は大人たちから喰われるため、追い回されている、この犬がかわいそうになってしまった。ほっておくわけにはいかなかった。 〈つづく〉

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