「特攻隊員と犬のクロ」③

2023年

レ艇の繋留と監視勤務

 湾内はこの半沈没船はんちんぼつせんだけが野戦を語っており、他は何事もなかったような静けさで異様な感じさえうけた。レ艇の監視勤務は、想像以上に厳しかった。

 レ艇は、基地大隊によって、この半沈没船のまわりに並べて繋留され、その上、(むしろ)をかぶせてあり、敵機から見ると空襲による破壊ごみの集まりのように見せかけたのだろう、念の入った作業あとであった。  

 命ぜられた我々のレ艇監視勤務は想像以上に厳しいものだった。基地大隊の繋留作業はけいりゅうさぎょう十分に念がいったもので安心できたが、波の荒い時、風雨の強い日などはレ艇が流されるのではと心配で夜中であっても、たびたび巡視が必要であった。ずぶ濡れになって繋留点検をしたものである。    

 野戦でいくたびとなく死線をくぐり抜けてきた林隊長でさえ、「3人だけの監視では無理!」と呟くほどであった。

休日、町中を歩いてみると・・・

 4日程して監視役交代の日がきた。林分隊長は残ったが、私と佐竹候補生は休暇をもらった。「一日、充分に外出し、英気を養え」と多めの金銭と、昼食代及び甘味品として乾パンを雑のうに入れてくれた。    

 午後5時までには、東公園の武道館の本隊に帰隊するように地図まで用意してくれた。佐竹候補生は知人宅に行きたいというので、行くあてもない私はひとりで本隊のいる東公園に行くことにした。

 西港湾の中では、半沈没船以外に目立った空襲跡はなかったが、町なかに入るにつけ、空襲跡は次第にはげしくなってきた。家屋らしい家屋はすべて焼つくされ、ただ目立つのは半焦げの倉や黒く焼けた鉄筋の建物、それに傾いて立っている電柱や黒こげの樹木である。

 しばしその惨状を見ていると腹立ちさと口惜しさがこみあげてきた。

この仇は必ず俺が、と思っているとき、突然その焼け跡の中から、子どもの笑い声が聞こえてきた。走りごっこでもしているような笑い声であった。まわりの景観とはまるでふつりあいの声であった。声のほうを見ると、兄妹らしい5,6歳の男の子と女の子であった。〈つづく〉
絵:キヨボン

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