毎月、桜島フェリーに乗って、鹿屋市から『戦争を語り継ぐ集い』参加してくださっている鹿屋市平和学習ガイド・調査員の小手川清隆さんに、鹿屋市平和学習ガイドの活動と大隅半島の戦跡などを紹介していただきました。
鹿屋市平和学習ガイドとは?
鹿屋市のふるさと㏚課に所属し、学校や旅行ツアー等の団体又は個人旅行者に対し、市内の戦争遺跡等平和に関する案内(ガイド)をしています。
ガイドになるためには、
○鹿屋の特徴、戦跡等についての座学研修
○実地研修(市内戦跡、鹿屋航空基地史料館)
〇話し方。マナー研修
などの養成講座受講後、認定試験を受け、ガイドとして活動することができます。
毎年、3月14日には、昭和20年初めて鹿屋に空襲があった日を語り継ぐために当時の写真パネル展や講演会などを開催しています。
そのほか、戦争体験者からの聞き取り活動や市内外での研修会に参加するなど研鑽を積んでいます。
※以下の青文字をクリックしていただくと、平和学習ガイドのことがよりわかります。
鹿屋、大隅の戦跡
鹿屋は日本で一番多くの特攻隊員が飛び立った地であります。
また、大隅半島には、海軍の航空基地が4ヶ所あり、それに関連する施設も数多く残されています。
鹿屋の戦跡を巡るとき、当時の飛行機の滑走路が、今、走っている道路のであったり、串良の地下豪電信指令室に入っていくと、特攻隊員の最後の電信を聞き取った場所であったりと身近に戦争を感じることができます。
そのことを、より具体的に感じていただくため、平和学習ガイドとして活動しています。
以下は参考資料です。 青文字の上でクリックしていただけると見ることができます。
感想
小手川さんが「集い」に参加してくださっていなければ、、大隅半島に特攻基地があったことや
終戦末期、オリンピック作戦というアメリカ軍が上陸してくる作戦があったことも知りませんでした。このお話以降、県外からの来訪者2組を小手川さんのガイドで案内していただきました。
大隅半島に点在していた戦争関連施設の多さ、そこから浮かびあがる当時の住民の生活。掩体豪や飛行場を作るために強制労働に駆り出された人々、その中には朝鮮から連れてこられたであろう人々の姿もあったと聞いています。その朝鮮の人々は、そこの仕事が終わると、すっーと姿が見えなくなったそうです。その人々は、どこにいってしまったのでしょうか。
そのようなことも思いめぐらしながら、ぜひ大隅の戦跡へ出かけて行ってください。 筆責:山下春美
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