広島原爆慰霊碑文に思うこと 瀬下 三留
終戦直前に人類初の原子爆弾の被災を受けた広島市。
80年前の8月6日、午前8時15分世界で初めて広島市民の頭上で一発の原爆が炸裂した。
それは米軍のB29のエノラ・ゲイが投下した新型爆弾だった。
その惨禍たるもの筆舌に尽くし難いものがあった。
当時の広島の人口34〜35万人のうち、9万〜16万人が2〜4ヶ月以内に死亡したとされる。
その惨劇を忘れない為に、1952年(昭和27年)広島市は爆心地に平和公園を建設した。
それに伴って、原爆の犠牲になられた人々を慰霊すべく原爆慰霊碑が建立された。
そこに決意を残すべく広島大学教授の雑賀忠義氏によって碑文が考案された。
これが有名な主語のない碑文「安らかに眠ってください。
過ちは繰り返しませぬから」である。
英文学が専門だった雑賀忠義は英訳も残している。
「For we shall not repeat the evil」
主語を「私たち」と捉えていた。
のちに、広島市は主語は何か?という世論に「主語は『全ての人々』『人類』」と公式見解を出している。
原爆慰霊碑が出来た年に広島を訪れたインドのパール判事(連合国判事の中で事後法によるA級戦犯とした有罪に反対した一人)は、「原爆を落としたのは日本人ではないのに、碑文は表現が不明瞭だ。」と指摘している。
また、戦後フィリピンのルバング島でひとり戦っていた小野田寛郎が、29年ぶりに祖国に帰還し広島を戦友と訪れた時に碑文を見て「これは米国が書いたものか?」と尋ねた。
小野田寛郎は、戦後ルバング島で戦い続け、GHQにより閉ざされた”言論空間”に支配されつづけていた戦後の事実を知らなかった事で当然の疑問である。
今となっては慰霊碑計画当時、GHQの占領下で原爆投下した米国に恨みを公言出来なかった事情もよくわかる。
「碑文は全人類への警鐘」で過ちの主体が、We(全人類)だとしてもWeの中にはアメリカという国家が”自分たちは含まれていない”と考えていたはずだろう」
一方、日本人は戦争を始めた日本(簡単には決めつけられないが)が悪かったから当然の報いと思わされ、また原爆投下によって終戦が決定したという必ずしも正しくない言説が現在まで続いているのではないだろうか?
それから80年経過した令和7年8月6日、日本保守党の代表で参議院議員の百田尚樹氏が式典に列席してこのように述べている。
「厳かな式典に身が引き締まったが、気になったのは挨拶を述べた何人かが『過ちは繰り返しません』という言葉を発したこと。広島市民も日本国民も原爆に関して何も過ちを犯していないし、その責任もない。過ちは米国が犯したものである。」
さらに別の投稿では「私は何も80年前の米国の責任を要求する気はないし、それを声高に糾弾する気もない。しかし米国政府から『原爆投下は過ちであった、我々はしてはいけない事をしてしまった。』という言葉があれば、原爆犠牲で亡くなられた方々の御霊の幾分かは慰められるのではないか。」と続けた。
衆議院議員の米山隆一氏は、百田氏のポストを引用した上で「ごく普通に解釈して、戦争を開始した日本にも過ちがあり、原爆を投下した米国にも過ちがあるという極めて真っ当な言葉でしょう。戦争を開始した日本に過ちがないかのように言い募る事こそ、却って米国の過ちの認識をも失わせてしまう、過ったものです」と指摘していた。
百田氏は米山氏の当該投稿を引用した上で「あなたの解釈はごく普通の解釈ではなく、自虐史観と偽善に基づいた、捻じ曲がった解釈である。」と指摘。続けて「しかし、あなたはおそらく死ぬまでそのことを理解できないだろう。まさに米山氏の解釈こそ、戦後日本の自虐思想による洗脳の深い病理の典型的な実例である。」とつづった。
米山氏は再度、百田氏の投稿を引用し「いいえ、ごく当然の解釈です。自虐史観でも偽善でもありません。全く勝ち目のない戦争を始め、他国民のみならず、多くの自国民を飢えさせ、命を失わせて尚目算もなく戦争を継続したのは過ち以外の何物でもありません。貴方は永遠に理解しないでしょうが、私達はその過ちを決して繰り返してはいけません」と再反論した。
参考:引用資料 NHK広島放送局 ひろしまWEB特集 2023年8月25日
中國新聞 ヒロシマ平和メディアセンター 2010年5月25日
広島市公式ウェブサイト
ーーー私が思う事ーーー 瀬下 三留
このように違う意見が繰り広げられる事は正常であり、一方的に撤回、謝罪に追い込まれる今までのように、あまりにも原爆投下についての米国の功罪に疑義をはさめない、はさまない言論空間に、いまやっと広島の地で政治家が、反発を恐れずこのように持論を堂々と言える事を歓迎する者である。
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