10/27 衆議議員選挙に向けて 「憲法前文から考える」

2024年

選挙を通じて、選挙権を有する国民は自分の住む日本国がどのような国であってほしいか、意思表示する大事な機会です。

1945年8月15日以降、日本領土では戦禍なく、平和で安全に暮らせる時を経てきました。(一部、北海道以北では、戦闘が続いていたところもあります。)

同じような争いの起こらない日本国を保つために、日本国で私たちが有している選挙権がどんなに大事なものであるか、改めて考えてほしいと思い、9月21日(土)「かごしま福祉と憲法を考える会」定例会でお話をされたパワーポイントの資料から一部引用してお伝えします。

過去の戦争の過ちを、未来に繰り返さないために、日本国憲法前文を確認してみましょう。

憲法前文から考える     2024年9月21日 天羽浩一氏 

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、(注1)政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し(注2)ここに主権が国民に存する(注3)ことを宣言し、この憲法を確定する。

(注1)「われらとわれらの子孫の上に自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のために、この憲法を制定し確立する」とアメリカ合衆国憲法前文で「基本的人権」を定めている。

(注2)憲法9条とともに全文で「戦争放棄」を定めている。

(注3)全文で「国民主権」を明確に定めている。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者(注4)がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。(注5)これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。(注6)

(注4)間接民主制(代議制)制度を示している。

(注5)リンカーンの演説「人民の、人民による、人民のための政治」
ポイント国民(nation)VS人民(people)

(注6)憲法改正権を法的に拘束する規範となっている。
戦争放棄、基本的人権、国民主権の3本柱については改正を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう決意した。(注7)

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。(注8)

われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する(注9)ことを確認する。

(注7)国連憲章全文「・・・寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互いに平和に生活し、国際平和及び安全を維持するためにわれらの力を合せ・・」

(注8)1943年テヘラン宣言「われらは、専制と隷従、圧迫と偏狭を排除しようと努めている、大小すべての国家の協力と積極的参加を得ようと努める」

(注9)1941年大西洋宣言「すべての国のすべての人間が、恐怖と欠乏から免れ、その生命を全うすることを保障するような平和が確立されることを希望する」全文で平和的生存権を確認している。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してならないのであって、政治道徳の法制は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。(注10)

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。(注11)

(注10)ナショナリズムを抑制し、国際協調路線をとることを明言している。

(注11)日本国憲法に示された理想の実現を世界に向けて誓約したことを示している。

「憲法制定時と現在は状況が異なっている」論

よく「今の憲法はもう80年近くたって時代にあわなくなっている。今の憲法は全く現実と合っていない。だから変える必要がある」と壊憲派は述べる。

では憲法25条「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国はすべての生活部面について社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とありますが、現実には貧困、格差、人権侵害など山積し25条は絵に描いた餅、現実に合っているわけでありません。

現実に合っていないから憲法25条、「すべて国民は自己責任で生活を営むものとする。国はすべての生活部面について国民の自助と共助の向上及び増進に努めなければならない」という条文にするべきなのか。

ありえないでしょう。確かに現実はすべての人に健康で文化的な最低限度の生活が保障されているわけではない、しかしそれを保障していくよう、政府はその先頭に立たなければならない立場でしょう。理想を現実に引きずりおろすのではなく、現実を理想に近づけていくのが政治家の役割。世界に多くの戦争がある現実に対して、戦争できるようにするのではなく、絶対戦争しないという理想を掲げていくのが政治家の責任というものです。国民を守るために戦争すると言って、国民が守られたためしはありません。

口先壊憲/小手先壊憲

自民党総裁選最中ですが、すべての候補が憲法改正(=改悪)を掲げています。多くの世論調査によっても国民の憲法改正への関心は低いのですが、保守岩盤支持層向けに憲法改正の看板は大切なのでしょう。しかし圧倒的に自民党が多数を占める現国会ですら議決できず、新総理が誕生したらすぐに衆院解散という声も強い。すなわち自民総裁候補の憲法改正の声は大きいが、実際にはさほど真剣にやろうとしているようには見えない。

その理由にの一つとして憲法改正しなくても憲法解釈の変更自由自在で何とでもなる、つまり一例としては9条改正しなくても集団的自衛権の行使、いつでも自衛のためにという名目で敵国基地も攻撃可能、軍事力も世界指折りの軍事大国となり、憲法9条はすでにスカスカになっているから何とでもなると考える口先壊憲。憲法空洞化による無法国家誕生である。

自民党の憲法4項目改定案(自衛隊の明記、緊急事態対応、合区解消、教育無償化)はいかにも姑息でとにかく憲法に手をつけたという形だけ作りたいという小手先壊憲。

抑止力理論に傾斜する安全保障

抑止力理論は武力による威嚇(=脅しではなく、実際に使用するだろうことを相手に認識させること)によって安全を確保するという理論である。

  1. 相手(A国)に致命的損傷を与えることが出来る軍事力の保持
  2. 相手(A国)に実際にその軍事力を使用するという明確な意思
  3. そのことによって相手(A国)が攻撃を断念する

(注) 抑止理論には双方の認識の一致が必要であり、それがなければ破綻する。そもそも相互不信を前提とした抑止理論に認識の一致を求めること自体が矛盾している。

(参考)

*基本抑止と拡大抑止(核の傘)

*通常抑止と核抑止(核保有国には核で対抗)

*拒否抑止(防衛的抑止)と懲罰抑止(破壊的抑止、核使用)

憲法9条の「~武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」に反する。

敵基地攻撃能力は抑止力理論の一種だが、にもかかわらず専守防衛であるとか言葉遊びが過ぎる。正々堂々?まずは憲法改正(=改悪・壊憲)を先にすべき。

また抑止力理論は軍事力を相互に拡大し続けることにより緊張の平和を作り出すが、理念的には核武装に到りつくことによって最終的目的に到達する。

多くの国で核武装が実現すると抑止力による緊張の平和が訪れるかと言えば、誰もそれは証明できない。戦争決定権限者は必ずしも合理的決定を下すとは保証できない。そもそも軍拡合戦や核武装論そのものが合理的判断とは言えない。

集団的自衛権は戦争を国際化する原因となるが、核武装で抑止力を持つ国々が増加すれば、最終的に戦争は地球規模でのジェノサイドに到りつく。したがって抑止力理論はすべてを敗者に導く理論と言える

平和外交は無力であるか

武力を放棄した国は必ず侵略されるのか。憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して~」ということは、こと国際政治についてはリアリズムを欠くのだろうか。

日本が武力を放棄すればA国が日本にミサイルを撃ち込み、軍隊を上陸させ、霞が関を占拠し、日本政府を打倒し、武力で列島を支配し、日本をA国領土の一部に組み込むことになるのだろうか。それはA国政府にとって全く割に合わない非現実的行動であることは明らかであろう。

では何を恐れるかと言えば軍事力を背景(武力による威嚇)とした外交によってA国が自らの国益を強要してくることに対し、対抗できないのではないかということだろう。軍事力の背景がない外交は無力だということだろう。A国との従属的不平等関係が形成されるという恐れだろう。

平和外交は無力であるか。これは誰も証明できないことである。抑止力理論も平和外交理論も正しさを証明するものではない。どちらの理論にも限界と落とし穴がある。権力者の軍事的欲望をコントロールできなければいずれにしても破綻がやってくる。ならば平和外交理論を採用することが人間の理性に適ったものではないだろうか。

平和外交 尖閣諸島(釣魚台)領域での部分的衝突回避のために

  1. 尖閣諸島(釣魚台)について、日本政府も中国政府も台湾政府も互いに領有権 主張としている。このことを互いの政府が認識し、互いに理解し、承認しあう。 
  1. 上記の相互承認に基づき互いに軍事挑発は行わない。(長期棚上げ方式)
  2. 尖閣諸島(釣魚台)領域を平和の海とし、

   ① 尖閣諸島(釣魚台)領域での日中台の漁業活動における漁獲高、漁獲種等について持続可能な海洋資 を前提に毎年協定を結び、実施する。 

      ② 尖閣諸島(釣魚台)領域の海底資源について日中台の共同調査を行い、開発する場合は日中台が海底資源保全の観点を前提として共同で実施する。    

      ③ 尖閣(釣魚台)諸島領域の警備は日中台が共同で実施する。

      ④ 上記を平和的に履行するため、日中台政府による「尖閣(釣魚台)平和の海 委員会」を設け、定期的な会議と報告を日中台国会と国民に行う。

   ⑤ 上記委員会に歴史認識に関する日中台の専門家による特別部会を設け、10年単位で合意できた事項について公開する。

(注)尖閣領域の平和戦略は米国防省・国務省も承認できる案件だと思う。日・中台米間での認識の共有が必要である。

2024年9月学習会資料PDF版

コメント

  1. せしたみつる より:

    すごく有意義な投げかけをありがとうございます。
    私なりに思ったことを書いてみます。

    「憲法制定時と現在は状況が異なっている」論について、現憲法が時代にあってないとは思います。
    25条は最低限のセーフティネットとして、堅持しなくてはならないと思いますが、そこには国民による自助、共助の働きは必要があるし、80年前と社会環境が大きく変わっていて公共の福祉であるセーフティネットをただ乗りする仕組みが出来上がっている風潮もあります。

    口先壊憲/小手先壊憲については、解釈変更という”つぎはぎ”ではどうしようもない憲法になっていると思います。今まで政権与党にあった自民党が真剣に憲法問題に踏み込めず、このような”つぎはぎ”した責任は重い。

    抑止力理論に傾斜する安全保障については、「そもそも相互不信を前提とした抑止理論に認識の一致を求めること自体が矛盾している。」は、相互信頼を前提に論理が組み立てられているようだが、戦略的互恵関係の相手国に、完全なる相互信頼は存在していない。

    平和外交は無力であるかについて、「武力を放棄した国は必ず侵略されるのか。」とあるが、必ずしもそうとは思わない、なぜならスイスのような中立国も存在する。ただし、それには重武装中立が前提になる。そうなると日本の場合9条が問題になってくる。したがって個別的自衛権は当然だが、集団的自衛権の行使も必要という理屈になる。

    平和外交 尖閣諸島(釣魚台)領域での部分的衝突回避のために、について「領有権を 主張としている。このことを互いの政府が認識し、互いに理解し、承認しあう。」とあるが、まずもって国際社会において、利害関係のある資源や領土を共同管理するなどは無理でしょう。
    ましてや、領土野心の強く民主化されていない国家との協調は、実現可能性の低い事案です。

    長々と書きましたが、それぞれの思いを持って選挙で一票を投じて国家の在り方を決めていく必要があると思います。 

  2. 春光 より:

    コメント、ありがとうございます。丁寧に読んでくださり、またしっかりご意見を書いてくださだったことに感謝申し上げます。他者の意見にきちんと耳を傾けることがまずは大事なことだと思います。お互いの違いを認め合い、語り合い、殺し合わずに、生きていけたらいいなぁと願います。

  3. 天羽浩一 より:

    せした様 コメントありがとうございます。考え方が平行線であったとしても、丁寧に対話していくことが大切だと思います。春光さんのコメントに同意です。互いにリスペクトの気持ちを持ち、よく言われることですが「あなたの意見は私とは違うが、あなたが意見を述べる権利は最後まで守り抜く」誰の言葉か忘れましたが、SNS世界で少しの違いで罵倒し合うなどという関係の作り方では民主主義は実現しません。また時間がある時に意見を寄せたいと思います。よろしくお願いいたします。

  4. せしたみつる より:

    私の意見を聞いていただきありがとうございます。
    「私はあなたの意見には反対だが、それを主張する権利は命がけで守る」という格言はヴォルテールのものとされていますが、実際は伝記作家のS.Gタレンタイアの発言らしいです。
    でも、まさしく民主主義の根幹にあたる名言だと思います。

  5. 春光 より:

    「私はあなたの意見には反対だが、それを主張する権利は命がけで守る」涙が出てくるような素晴らしい言葉ですね。常にこの言葉を忘れないことが重要ですね。有難うございます。