「戦争を語り継ぐ集い・有志」の赤崎雅仁さんより映画「戦ふ兵隊」の紹介がありました。
また、視聴された瀬下三留さんの感想も併記いたします。
ユーチューブで見ることができますので、ぜひご視聴ください。「戦ふ兵隊」
実際に、中国大陸で日本の兵隊さんと馬たちがどのように野営をし、移動していったのかがよくわかります。無声映画ですが、ところどころ、兵隊さんから聞こえてくる話し声が鹿児島弁です。
日本からよくもあんな広い中国大陸の奥まで行かせたもんだと思い、胸が詰まりました。山下 春美
「戦ふ兵隊」 紹介文 赤崎 雅仁
監督 亀井文夫さんについて 1908年~1987年 78歳没
1928年(昭和3年) 文化学院(東京墨田区) 中途退学
1929年(昭和4年)ソビエト美術を学ぶためにソビエトへ渡る。
1939年(昭和14年)日本軍の派遣 記録映画「戦ふ兵隊」66分 製作
参照:ウィキペディア「亀井文夫」
完成したものの上映禁止となる。軍部は反戦、厭戦ということです。
残っていないとされていた映画ですが、カットされた60分あまりが残っていました。
正月休みにアマゾンで見ました。
中国人の墓の前で、中国流のお参りをしている場面から始まるシーンです。
日本軍に殺された親族のお墓だと思います。それと中国人を捕まえた男性を尋問する場面、まず年齢を聴く、迫害をしている場面ではないと思いますが、「職業は?」「百姓」だと答えると、「家に帰りたいか?」「帰りたい」と答える。
この場面は、日本兵に置き換えているような場面です。
軍部から見れば、都合の悪い映画とみたのでしょうか。
コミンテル(共産党)の指しがねと見られたのでしょう。
監督 亀井文夫は、1941(昭和16)年、映画人の中では、唯一治安維持法容疑で検挙投獄され、演出家抹消の処分、終戦で解放され、社会派の作品を数多く生み出しました。
「戦ふ兵隊」を見て 瀬下 三留
「戦ふ兵隊」観ました。
昭和14年の武漢作戦従軍記録映画でした。
武漢の住民が集団で移動するところから始まります。
サイレント映画のようにところどころ説明書きが入ります。(-の部分は、映画内の説明文から引用)
ー乾燥菜、乾燥馬鈴薯、乾燥人参それに粉味噌を使って汁をつくる。
兵隊はつくづく新鮮な野菜を食ひたいと思ふー
野戦病院で
ー支那大陸はどこへ行っても水が悪い
兵隊は故郷の清らかな水をいくたびか思ひ起こすー
馬に日の丸のはちまきをさせている場面もあった。
駐屯地での兵隊たちの食事や身体を洗う生活風景
ー部隊は前進移動してこの土地を去ったー
ーまた部隊が去った。その日から農民は働きはじめるー
農民は日本の兵隊がいなくなった跡を耕し始める。
ーしかもここには最早戦火の憂ひがなくなったのだー
もとの農民の生活が戻ってきていた。
枯れ草を撚って燃料にしている。
ー部隊は大陸の奥深く進むー
日本軍隊の移動風景
馬や徒歩で荷物と共に前進する。
ー迫撃の急な時は病馬を捨てて行くことがある。こんな時、兵隊は心の中で泣いている。だが作戦上、やむを得ないのだー
ー兵隊は死闘をしているー
ー悠久な大陸の自然に歴史の一頁を刻み込んでいるのだー
ー大君の邉にこそ死なめ。この言葉を思ふ時、兵隊の感情は美しく昂揚するー
ふるさとの妻からの手紙を読む映像の音声が鹿児島弁
ーこんな晩、兵隊は驢馬の鳴き声がしきりに耳につくー
ー明治節も間近い朝、部隊は武漢への最後の前進行動を起こした。
その出発に先立ってー
明治節の頃だから、11月前だろうと思われる。
荷馬車で物資を運ぶ軍隊の長蛇の列、随所に鹿児島アクセントの兵隊の声が入っている。
おそらく鹿児島出身者の多い部隊と思われる。
キリスト教会でミサと思われる映像
ー漢口江漢関の広場で軍楽隊の演奏が行われたー
ー兵隊は武勲を語らない、名誉を思わない、ただ大いなる事業を果たした果たした後の快い疲れを休めて静かに楽しんでいるー
ー兵隊は荒涼たる戦場を超えてきたのだー
疲れたような大勢の兵隊が休んでいる姿を映している。
遠くふるさとや、残した家族の顔を思い浮かべているのだろうか、みんなうつろな顔をしている。
ーこの日、早や裏町ななは文字通り焦土の中にうごめく生活の意欲を見たー
瓦礫の町となった所で住民がすでに生活を再開している。
作り物ではない、本物の戦地の生活が映し出されていて、今まで写真でしか見た事のない、兵隊や軍隊の日常や命令伝達の風景を知ることが出来ました。
そこにはありのままの兵隊一人一人の生きてる姿がありました。
小説”約束の地”を書く際に戦地の兵隊の生活を知らずに、文献や手記を頼りに書きましたが、この記録映画を観ていたら、もっと詳しく事実に基づく描写ができていたかもしれません。
コメント
赤崎さんから勧められて観たという山下さんに、教えてもらいこの記録映画を観ました。
昭和14年の中国大陸、武漢から始まる日本陸軍の記録映画でした。
監督の詳細について、山下さんが調べてくれて、なるほどこの映画の言おうとしていた部分がわかったような気がします。
当時の兵隊たちの苦悩や日常の悲喜交々が、随所に現れていて貴重なフィルムです。
コメント、ありがとうございます。本当に貴重な映像だと思います。中国大陸まで行かされた方々の様子がよくわかる一方で、世の不条理の中で「生きる」営みをしている人間の存在にも考えさせられるものがありました。