「人間爆弾特攻桜花乗組員の遺族聴取報告」2018年4月28日(土)

2018年

鹿屋市市平和学習ガイドの小手川清隆さんに、旧海軍特攻部隊「桜花おうか」の隊員の遺族の方から聞き取りをされたことについて話をしていただきました。

(この記事は、現在作成中で今後更新予定です。)

2018年3月21日、海軍特攻部隊「桜花」が鹿屋市の鹿屋基地から初めて出撃し、73年目も迎えた日、隊員の遺族の方がお墓参りをされ、特攻の歴史を語り継いでいきたい、という新聞記事が3月24日の紙面に出ていました。

遺族の思い出を聞き取りした小手川さんは、遺族の後ろで手を一緒に合わされています。

「桜花」(航空機)とは。

「桜花」という特攻機(爆弾を積んでいる小型機)は、大きな飛行機、母機に吊るされて目標地点近くになったら、母機から切り離されて、搭乗員が誘導して目標に体当たりさせる、という手法だったそうです。

しかし、桜花を搭載している母機(一式陸上攻撃機)は、桜花の重さで速度が遅くなり、動きも悪くなるため、目的地に着く前に攻撃されることが多かったそうです。

桜花(航空機)ウィキペディア

感想

私は、「桜花」について、初めて知りました。本当にびっくり!驚きました!
こんなバカな話があるものかと。
桜花の爆弾を落とすための作戦に、母機とその護衛4機が随行しながら、目的を達成する前に米軍より攻撃を受け撃沈し、成功する確率が低かったと。これを作戦と言えるのでしょうか。

しかしながら、この記事を書いている2022年5月5日、コロナ感染の発覚から3年が経とうとしていますが、コロナ禍が終息していくような適切な対策がとられてきているのか甚だ疑問です。

何時になれば、マスクを外して、おしゃべりしながら会食をしたり、笑いあったり、抱き合ったりできるのでしょうか。
桜花をはじめ特攻隊員として亡くなっていかれた方々も、生きて、絵を描いたり、思いっきり野球をしたり、好きな人と一緒に話をしたりしたかったではないかと思うのですが。筆責:山下春美

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