報告:「子供の頃の戦争体験を通して考える~大事にしたい憲法のこと~」2月1日(土)

2024年

2月1日(土)10時~12時  鹿児島市たてばば福祉館 (鹿児島市下竜尾町)お話してくださった方:吉留 芳昭さん 昭和10年生れ 90歳 池ノ上町在住

吉留さんは、昭和10年(1935)、旧日置郡日置村で10人兄弟の10番目として誕生、「いわば、『ウッセゴ』(鹿児島弁で捨てられた子供)だったんですよ~」と自己紹介の中で笑いながら話してくださいました。

「戦争と憲法制定への雑感」

私が、戦争の悲惨さを強く感じたのは、長崎の佐世保から子供5人を連れて実家に帰って来た長女(姉)家族たちや、朝鮮にいた次女の夫がテニヤン島で戦死し、身重だった姉が昭和19年、朝鮮から実家に戻り、出産、父親のいない甥の誕生と、その後共に暮らしたこと。また、次男と三男の兄が陸軍におりました。

昭和20年、3月以降、鹿児島県下でも空襲が始まり、空襲警報がなる度に、生まれたばかりの甥を10才の吉留さんが背負って、防空壕に逃げました。
終戦後、私の家は、総勢20人ほどの家族が暮らす生活で、各人がそれぞれに生きることに必死な状況でした。

戦争を強く意識したのは、1945年1月1日、学校での拝賀式のあった日。
その日は、晴天で、薩摩半島上空、枕崎からくっきりとB29の姿が見え、操縦士の顔もはっきりとわかるくらいの低位飛行で飛んできました。

最近の新聞記事で読んだところによると、それは米軍の偵察飛行だったことを知りました。

そして、その年の昭和20年3月18日未明、空襲警報がなり、馬小屋に爆撃。学校に爆弾が落とされたと聞いたので、夕方見に行ったら、学校は無事だったけれども隣の阿多さんという人の民家にすり鉢状の爆弾が落ちていました。

私は、6・8・9・15 という数字で覚えています。6日が、広島に原爆が落ちた日、8日はソ連が参戦した日、9日は長崎に原爆が落ちた日、15日はポツダム宣言を受託したという玉音放送があった日です。
15日の正午、ラジオから最初音楽が流れ、天皇の声が続くのですが、うちのラジオは真空管4級だったもので、天皇の声が時々遠のくと、ラジオをたたいて、まぁ、ビンタをくらわす(笑)といいますか、それで聞きました。

教育勅語も意味がわからなくても覚えさせられました。教育勅語では、日本国民は、天皇の臣民である、ということでした。
周りの大人が、「天・・・」と口にされた途端に、私たち子供は、「気をつけ!」としていました。振り返ると「玉音」「玉砕」と玉が付く言葉が使われていました。

戦後、歴史を正しく学ぶことを習ってこなかったなぁ、教えてこなかったなぁ、という気がします。肝心なことや都合の悪いことは話してこなかった。進学のことを考えると、受験に必要なことを優先し、そのほかのことは時間がない、と。

馬毛島の変貌ぶりには驚愕しました。反対しても強力な権力が働いており、何をしてまでこういうことをするのか、戦争の影がちらつきます。

昭和20年7月26日にポツダム宣言を早く受諾しておけば、原爆もなかったのではないかと後悔しています。

戦前と戦後の生活で変化したことは、それまでは、天皇陛下を中心とした生活、戦時体制の強化を強いられた生活だったと思います。規則、統制、動員、強制、供出、改正、配給、切符、通帳等です。

戦後、日本国憲法が制定され、国民主権、基本的人権の尊重、恒久平和主義の順守。私は、戦争放棄の憲法を愛して止みません。自由を感じています。

しかし、今や憲法9条も満身創痍の状態です。戦争を止められる大きな力は、国連だと思います。憲法だけでは戦争を止められない、残念ながらそう感じています。しかし、この語り継ぐ会に、数回参加させてもらうようになり、私が経験した戦争体験を語りたいと思うようになりました。
それは、やはり戦争だけはしてはいけない、という思いがあるからだと思います。
今日は、有難うございました。
(以下、吉留さんが作成した当日の資料です。右は当時流行した歌を教えてくださいました。)

参加者の感想

●今の自分にできることはないかなぁと考え、憲法のガイドブックを持ち歩いています。上町9条の会では、毎月1・3の月曜日、13時半から14時まで、たてばば交差点に戦争反スタンディングをしています。

●南アメリカやインドなどが加盟し、造っているBRICSというのがある。それらは、戦争をしないように努力している国々だと思う。その国々を応援したい。

●戦時中は、女性の力がないと乗り越えらえなかったと思う。昨年から戦時中に食べていたものを再現することに挑戦している。美味しいものもあるし、そうでないものもある。

私は戦争体験者ではないので、聞くことしかできない。でも、知りたい。

●母は昭和10年生れで唐芋を食べすぎて、食べたくない、と言っていた。平和ボケしている。ミサイルが落ちてきたらどうするんだろう、憲法があっても守られるかなぁと不安になる。

●コスタリカという国は、軍隊を廃止して、教育や自然保護に力を入れている国。日本は自分の意見を持つことができない。経済優先で自分が食べていくことが優先順位一位で、人間をつくる教育がされていないと思う。ふだんの生活が大事。人とのつきあい。

●アメリカに気をつかって逆らえない。日本が率先して、平和実現を広めていかないといけない。日中韓の話し合いも積極的にしてほしい。

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