早田選手の発言と小説「永遠の0」の”特攻”考察論

2024年

卓球パリオリンピックのメダリスト早田ひな選手の発言の余波  瀬下三留

 早田ひな選手(24才)は、パリオリンピックで卓球シングルス銅、団体で銀と堂々と世界トップレベルの結果を残した。

 8月13日、フランスから帰国した早田選手は、報道陣から「今やりたい事は?」と聞かれ、「鹿児島の特攻資料館に行って生きてることを、そして自分が卓球をこうやって、当たり前に出来ているという事は、当たり前じゃないというのを感じたいからです」と語った。

 この早田発言は、メディアやSNSで拡散され、日本国内のXでは「早田ひなちゃん、素晴らしい」等の称賛の声が寄せられた。

 しかし、中国のSNSではすぐさま当然のように、早田発言を問題視する投稿が現れ物議を醸している。

早田発言を問題視する意見は、日本国内にも一部存在している。

その内容はこうだ。

「早田選手に限らず、スポーツやビジネス等で中国と関わりがある場合は、中国の気に障る様な発言を慎むべきだ。」というような論調だ。

 果たして早田発言は、中国の気に障るような意味合いだったのだろうか?

「特攻資料館」を「平和」を学ぶ場所として考えている普通の日本人と、「特攻資料館」を特攻賛美、戦争肯定と考えているのは、一部の日本人や一部の中国、及び朝鮮半島の人々との認識の違いによるものではなかろうか?

 もし「特攻資料館」に平和を学びに行く事が、戦争賛美につながると否定するのであれば、広島や長崎の原爆資料館に行く事も、戦争を想起させる否定的な行為と言わざるを得ない。

太平洋戦争末期に行われた「特攻」という作戦が、いかに不条理で「統率の外道」と評価された愚劣な作戦であったことかとつくづく思う。

 しかし、その特攻を志願して(志願せざるを得なかった)まで、愛する人や愛する祖国を守ろうとして、散華された特攻隊員(英霊)には、尊敬と感謝の念で報いるのが現代を生きている我々の勤めではなかろうか?と私は思う。

これについては、人それぞれの意見があるでしょう。

百田尚樹氏著の「永遠の0」の中の特攻隊員の”宮部久蔵”あれほど特攻死を否定していたのに、なぜ”特攻”に”志願”して特攻死したのか。

百田尚樹氏の評価は、保守右派、リベラル左派で大きく異なる。
リベラル左派によると、百田尚樹氏の「永遠の0」は軍国、戦争賛美と捉えられやすい。

以前テレビ東京で放送された、ドラマ版「永遠の0」は今でもYoutubeで3回にわけて無料で視聴できます。

百田尚樹氏が戦争や特攻というものを、どう捉えているか、戦争や特攻は憎むべきものです。二度と戦争によって人類を悲惨な目に遭わせてはならない。

しかし、終わった戦争や特攻で、命を捨てて守ろうとした方々には尊崇の念と感謝を贈って憚れるものだろうか?

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