姶良市「椋鳩十と戦争」展と「戦世を生きて」体験回想記展

2024年

姶良市の椋鳩十記念館で開催中の「椋鳩十と戦争」企画展 見学        (9月1日まで開催)         山下 春美

 残念ながら、館内の企画展示写真は撮影が許可されていませんでしたので、紹介することはできませんが、戦時中、椋さん宅で飼っていた愛犬マヤが殺されてしまう話「マヤの一生」のアニメの原画や愛犬マヤの写真、椋さんが25歳の時に、国語教師として赴任した加治木高等女学校の生徒たちを学徒動員で長崎の川棚魚雷製造工場に引率した時の写真など展示してありました。

 また、終戦4日前、アメリカ軍によって爆撃された加治木空襲の写真や体験記なども展示されていました。

 軍用犬以外の犬を飼うのは”ぜいたく”だということで殺してしまう傍らで、兵隊さん達は贅沢な食べ物を食べていたことは周知の事実です。犬を殺したくらいで、戦争の勝敗に差がつくはずなどあり得えない、と冷静な判断すら失われていくのでしょう。

 犬のマヤが、こん棒でなぐられ、最後の力を振り絞って家までたどり着き、そして玄関に横たわり、亡くなっている絵を見たら、また涙が出てしまいました。戦争とは、なんとひどいものだと思います。

 さて、台風が接近する中、椋鳩十記念館に初めて出掛けた私でしたが、館内に入り、先客がおられるなぁ・・・と思ったら、な・な・なんと偶然、赤崎雅仁さんとお友達の外薗典明さんのお二人でした。戦争ということに関心を持ち、ともに同じ場所に居合わせたことを非常に嬉しく思いました。

「戦世を生きて」  有田 義孝さん  9月6日(金)まで開催 

その後、姶良市公民館で開催中の「戦世を生きて」という有田義孝さん(姶良市加治木町在住」が描かれた戦争体験回想記展を見に行きました。

神戸空襲から奄美群島、祖国復帰までの足跡 
 絵と文 有田 義孝さん

上記の絵は、海岸に飛行機の残骸が流れ着いたものが描かれています。一緒に見学をした隼人在住の外薗さん(昭和24年生)は、「私たちが、小さい頃、昭和30年頃にも、隼人の小浜海岸には、こんな残骸があったよ。」と話をしてくださいました。

左)母豚がお産をした後に、生まれたばかりの子豚にお乳を飲ませている様子を、母子が見守っている絵です。
この絵を見ながら、外薗さんが、「昔は自分たちもこんなふうに豚を飼っていたよ。」と教えてくださいました。

そんなに遠くない昔、50年位くらい前までは、私たちは牛や馬やニワトリなど、あらゆる動物と共に暮らし、人間だけのいのちがこの世に存在しているのではないことを、自然に学んでいたのではないかと思います。

そんな動物たちと人間がともに生きられる世界を求めて、椋鳩十さんは書き続けておられたのでしょうか・・・・。

コメント

  1. 瀬下三留 より:

    椋鳩十記念館で、赤崎さんと遭遇するとは因縁でしたね。
    戦時中、さまざまな動物が数奇な運命をたどらなきゃならなかった不幸は、あってはいけなかった事です。
    全体主義によって、何にもまして精神論が優先されて、全体のためには人の命さえも軽視されて、それ(死)さえ美化して利用しようとする軍部の体質があったと思います。現代においても全体主義国家においては同様の事が行われています。しかしそういった国家が強い勢力を保持、威嚇している事も知っておく必要はあると思います。。

  2. shunkou より:

    コメントありがとうございます。赤崎さんとの遭遇は、確かに「因縁」((笑)ですね。
    以前、ブログで紹介した動物園のゾウのお話も含めて、戦時中における動物への虐待が、平然と行われていた証しです。このようなことを二度と起こしたくないですね。