第六章
懐かしい再会
同じ12日に歩兵第789大隊も同地に合流到着し、陣地構築しながら防衛体制に従事した。
789大隊も満州在住応召者からの構成だった。
その中の一人の男から声をかけられた。
「瀬下君じゃなかか?」
突然名前を呼ばれて驚いて振り向くと、そこには懐かしい顔があった。
「福山さん!ここで福山さんに会えるとは思いもせんかった!」
福山さんは、川内の開聞で、ふすまなどの建具屋をしていた人だった。
「福山さんも満州におったとですか?」
「そう、王道楽土ちゅうて渡満する人が多くなって、内地で建具屋するよっかこっちでふすまを作った方が実入りがよかと聞いて、奉天にきて5年ぐらいになっちょる」
「そいで、召集されてここに?」
「5月に近所のほかの日本人もごっそり召集されちょった。」
「同じですな、オイも鞍山の製鋼所に働きに来て2年もせんうちに赤紙を貰ろたです。」
「そうそう瀬下君は松崎悦男を覚えちょっでしょう?」
「向田本町の松崎?」
「そう、同じ隊におっとよ、彼は通信隊じゃっけど。」
「懐かしかなあ、こいから一緒の行動じゃから会えるな。」
そう言ってその日はそれぞれの宿営地に戻っていった。
8月14日だったと思うが、兵舎の近くで松崎君とバッタリ会うことがあった。
後ろ姿を見て最初はわからなかったが、正面を向いたときにわかった。
元気そうな顔を見られて懐かしい限りだった。
「松崎君、いつ召集されたと?」
「5月にはいったらすぐ、赤紙が来た。奉天で満鉄の倉庫会社におったけどそこに赤紙が届いて受け取ったど。」
松崎君は、川内から満州に渡ったと聞いていたが、彼はもともと身体が強い方ではなかったので、どうしてるだろうと思っていたが、まさか同じ部隊になるとは驚いた。
明日の身はどうなるかわからない、この戦地で再び会えて何よりうれしかった。
「ここに来るまでにいろんな事があったじゃろ?」
と聞くと、「今の隊の前に第三大隊に配属されていたんだけど、隊員17人で山中に避難しながら、夜は先進部隊の捨てた物品を利用しながら、野営、行軍を続けて、山中はアマトコロの根や、畑へ出た時はトウキビ、芋、大豆など何でも手当たり次第食べたよ。
そこでつらかった事は、民家を見つけたら上官の”調達”という命令で、空に向けて発砲して、驚いて外に出てきた中国人を家から追い出した隙に、民家に押し入り食糧を奪い取った事を何度かしたよ。
最初は住人を見らんように(見ないように)して追い出しちょったけど、だんだん慣れてきて、食糧をかっぱらう事を悪く思わんようになった。」と言ってたし、「また幾度か民家に泊まって行軍しながらも、敵の銃撃に遭って負傷した戦友を助けてここまで来たと。」と話してくれた。
「オイたちは四平から朝鮮の元山に転進途中で新京に向かったんで行軍、野営の繰り返しやった。」と答えたが、これから自分も松崎君が経験したような”調達”や銃撃による交戦が、待ち構えてるんだろうかと思うと憂鬱になった。
松崎君も大変な思いをして戦地をくぐってきたんだなと、束の間二人で語ったのだった。
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