「シベリヤ・エレジー」歌:伊藤久男
2月に姶良市の重富民俗資料館で「シベリア抑留絵画展」を開催していた時に、「昭和の懐メロギター弾き語り」を主催しておられる男性が2回、来館くださいました。
2度目の来館の折、次回主催される「懐メロギター弾き語り」の時に使う歌詞カードとCDを持参され、私に下さいました。
そして、「このCDの中に『シベリヤ・エレジー』という曲を組み入れました。」と、一言添えられたのです。
私は、「シベリヤ・エレジーなんて名前の曲があるんだ~。」なんて、思いながら、早速聞いてみました。
昭和23年に発売されたようですが、終戦後3年経っても、まだシベリアから戻されない人々の心情を綴った歌詞で、聞いていて辛く、悲しくなってしまう旋律の曲でした。
戦闘による戦争は終わっても、多くの兵隊さん達が帰ってこず、その安否を心配する家族はどんな思いだったのでしょうか。
私も初めて知った曲「シベリヤ・エレジー」 歌:伊藤久男 作詞:野村敏夫 作曲:古賀政男
ユーチューブでも聞けますので、ぜひ、ご試聴してください。
この曲について書かれたブログがありましたので、紹介しておきます。
梅丘歌曲会館「詩と音楽」「シベリヤ・エレジー」
以下、そのブログからの引用です。
昭和23年、戦争が終わってもなおシベリアに抑留され、強制労働に従事させられている人々はたくさんいました。またその帰りを待ち望む家族は一家の大黒柱を欠いて大変な窮乏生活を余儀なくさせられていたのでした。そんな人々を慰めようと書かれたのがこの曲。弟を戦死させた古賀政男のメロディにも力が籠っています。戦争中に幾多の戦意高揚の歌詞を書いていた野村俊夫は 『軍国主義の世論に同調した過去を人一倍に反省し 「その罪滅ぼしの心算で、異国の地で望郷の念に駆られた同胞の実感を込めたこの唄を作詞した」と述懐している』(長田暁二 戦争が遺した歌 全音楽譜出版社)のだそうです。第2番に入る前の間奏には古賀政男の「誰か故郷を思わざる」の一節も絶妙に織り込まれ郷愁を誘います。歌は伊藤久男、作曲者は古関裕而と違いますがあの昭和15年、野村が詞を書いてこの伊藤が歌った「暁に祈る」と続けて聴くと本当に感慨深いものがあります。既に「暁に祈る」の歌の時から外地に駆り出されて行った人々の悲劇は始まっていたのだな...と。こんな時代が二度と来ないように、こんなことで苦しむ人たちが再び生まれないように、今を生きる人間として努めて行かなければならないのだと決意を新たにしたところです。
( 2017.02.26 藤井宏行 )
「極寒の シベリアをいふ 白寿かな」
上記は、瀬角龍平さん(大隅史談会会長、俳誌「火の島」同人:垂水市在住)が詠まれた俳句です。
2月の「シベリア抑留絵画展」へ来館され、パネルを見たり、話を聞いたりしたことがきっかけとなり、つくられたそうです。2024年3月24日の朝日新聞俳壇に掲載されました。
抑留された方々を悼む深いお気持ちが、この句に込められているのだと思います。
感想
「子から孫へ語り継ぐシベリア抑留体験と絵画展」に来場くださった方の中に、展示から喚起されることがあった出来事が私はとても嬉しいでした。本当にありがとうございました。
「 昭和の懐メロギター弾き語り」 開催のご案内
お時間のある方は、ぜひご参加ください!
コメント
この曲を知らない人は多いでしょう。もちろん私も知りませんでした。
シベリア抑留という悲劇があった事も知らない方が多いでしょう。
しかし、これはソ連、モンゴルによる戦後日本人拉致および強制労働として記憶に刻む必要があります。
なぜなら、今後二度とこのような悲劇を生まないために。
コメント、ありがとうございます。私も初めてこの歌を知り、ちょっと驚きました。当時、このようにシベリア抑留は認知されていたものだったんだということにです。最近でも厚労省から抑留者の身元がわかった、と新聞にお名前が出ていることがあります。まだ、戦争は終わっていない、と思わされる記事です。