「鞍山(アンシャン)」~私の知らない父の妻、ナツエさんに捧げる物語~ ⑤

2024年

第二章

旅立ち

  川内駅で井上家と瀬下家それぞれの家族と別れの見送りを受け、私たち二人は門司に向け出発しました。私は、未来の土地に行く不安な中にも、はじめての長旅に、子供のような無邪気な気持ちも少しはあったのです。門司港から乗った旅客は、博多湾を出港して、玄界灘でやはり揺れました。乗船してニ日後に大連に着いたのです。

 旅費はニ等で二十円くらいでした。大体一ヵ月分の給料ですから、私たちのような貧乏人はそうそう乗船できるものではありません。到着した大連港は、当時世界一と称されていました。特に、第二埠頭の船客は収容能力五千人で、それは近代的な建物でした。

しかし、旅はまだ続くのです。「あじあ号」は大連~ハルビン間を最高速度時速130キロで13時間30分で走破していました。客車は一等、二等、三等、食堂車で構成されていて、空調も完備していました。ただ、冬の旅には冷房は必要ありませんでした。私たちは三等客車でしたが、話題の食堂車に行ってみました。

ロシア人の給仕に飲み物と食事の注文を聞かれましたが、深志さんはお酒を飲めないので、「チキンライス」を注文し二人で食べました。初めての贅沢でした。「あじあ号」は三等でも八円の運賃で、カツ丼が一杯三十五銭位ですから、やはり八円はいい値段でした。

それでも日本に帰る時は、もう一回「あじあ号」に乗って食堂車でご飯を食べようと思っていました。 

大連で「あじあ号」に乗車して大石橋で「あじあ号」を下車し、鈍行に乗り換え、営口えいこう海城かいじょうそして鞍山站あんしゃんえき(鞍山駅)に到着しました。

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